SSブログ

東京繊維専門学校  [散歩の途中で]

東京農工大学は府中キャンパスにあった東京農林専門学校と小金井キャンパスにあった東京繊維専門学校が1949年(昭和24年)に一つになって大学です。
ということで小金井キャンパスの科学博物館の入り口脇には 
 
101120_001.jpg

蚕糸科学教育記念碑と書かれた記念碑に明治19年に西ヶ原に蚕病試験場設置から始まり昭和24年に東京農工大学に至る名称の変遷が書かれていました。

もともと小金井キャンパスは養蚕のための
 
101120_002.jpg

研究施設であったわけで 「コンピュータの歴史」展が行われていた科学博物館は日本における養蚕の歴史に関するものが多く展示してあります。
 
まず入り口を入ると
 
101120_003.jpg101120_004.jpg

組紐の機械があって手でハンドルを回して自動で組紐を作る体験ができます。
糸巻き(ボビン)が回転しながら溝に沿って動き その動きで糸の角度が変わり紐が編まれてゆくのが良くわかります。

明治以降 絹糸と絹織物は日本にとって重要な輸出品でした。
展示品にはその当時の
 
101120_005.jpg101120_006.jpg
 
手回し靴下編機やそれより大型のウィリアム・リー編機などもあります。
 
日本における養蚕の歴史は古く 江戸時代には各地で養蚕に取り組んでいて 
 
101120_007.jpg
 
蚕神が祀られていたりもしたそうです。
そして江戸時代に養蚕が盛んであったことは
 
101120_008.jpg 
 
101120_009.jpg

何枚もの養蚕に関する浮世絵が残されていることでもうかがい知ることができます。

江戸時代に培われてきた養蚕が維新後の明治時代に日本が欧米の列強に追いつくことに大きく寄与したことを改めて認識する展示でした。

nice!(92)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 92

コメント 10

muzik

明治初期の一時は赤坂見附の当たりも桑とか茶を植えるよう
桑茶令という指導があったそうです。
輸出物としての絹糸絹織物とお茶はその当時の
外貨獲得の一級品だったそうで、ニューオータニの
あたりは茶畑と桑の木が一杯だったそうで、いまは
見る影もありませんが・・・。

by muzik (2010-11-20 09:20) 

あさこ

鎖国から一気に欧米へ追いつくことができのたのも、
元々、織物の歴史があったからなんですね。

by あさこ (2010-11-20 10:37) 

kurakichi

muzik さん

赤坂見附に桑畑があったのですか。
今ではまったく想像ができないですね。

by kurakichi (2010-11-20 11:40) 

kurakichi

あさこ さん

生糸が無かったら明治以降のあの急速な近代化はありえなかったのでしょうね。

by kurakichi (2010-11-20 11:44) 

そらへい

映画「ああ、野麦峠」を思い出しました。
by そらへい (2010-11-20 17:14) 

sig

こんにちは。
組紐を編む機械はくるくると回転して、ほんとに良く考えられていますね。
養蚕の手工業と機械工業が調和して、すばらしい産業を構成していたのですね。
by sig (2010-11-20 18:06) 

夏炉冬扇

こんばんは。
里には養蚕組合が作った蚕棚の「燻製小屋」が残ってます。赤レンガです。

by 夏炉冬扇 (2010-11-20 21:36) 

kurakichi

そらへい さん

女工哀史 そういった時代を経て今があるのですね。

by kurakichi (2010-11-20 21:39) 

kurakichi

sig さん

組紐の機械はとてもよくできていて見ていてあきませんでした。
ここがこうなっていて これをこうすれば こうなる といったことが目に見えるほうが安心できますね。

by kurakichi (2010-11-20 21:43) 

kurakichi

夏炉冬扇 さん

そういった大きな施設が残っているところはもう少なくなってしまいましたが 糸繰りなどの道具は近くの郷土館にも展示されています。

by kurakichi (2010-11-20 21:51) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

東京農工大学 生糸商標  ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。