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恋ヶ窪谷の水の歴史  [はけの道]

昨日の記事の姿見の池の伝承が書かれていた説明板の隣に 恋ヶ窪谷の歴史と健全な水循環の再生 と題された
 
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説明板がありました。
今日はこの説明板から抜粋して 姿見の池がある恋ヶ窪谷がどのようにして出来、今どのように管理されているかについて書きます。

まずは
 
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多摩川によって扇状地が作られ、国分寺崖線が作られ、国分寺崖線の上段部の武蔵野台地に谷が刻まれ、多摩川の洪水で谷口が埋まり、そしてこの湿地ができたのだそうです。
概念図は
 
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このような感じです。
このような推理は実際に
 
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地層を調査してわかったことなのです。
そのような調査の中で この姿見の池のすぐ脇に
 
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東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)と呼ばれる古代の要路があったことがわかりました。
東山道武蔵路は鎌倉街道ができる以前 奈良・平安時代の道で
 
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武蔵国府(府中市)と上野国府(前橋市)を結んでいたもので 
これは発掘によって 
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丸太で枠を作り木杭で押さえ、葦や木の枝を敷き、石を並べ、赤土と黒土を交互に積み重ねた構造が発見されたのだそうです。

実際この恋ヶ窪谷の湿地は今から4、50年前までは自然の形で存在していましたが 急速な宅地化に伴い地下水の利用が増え、それに加え道路の舗装で雨水の地下への浸透が減ったため地下水が減って湧き水が枯れ湿地が消滅する危機が訪れました。
国分寺市は住宅の建築に際し雨水を地中に浸透させる雨水浸透ますの設置を推進し、地下水の水量を増やす努力をしその結果今の
 
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自然あふれる恋ヶ窪谷が復活しているのだそうです。
野川のビオトープ化やこの恋ヶ窪谷の湿地維持、今は人為的努力なしでは自然を残せない時代なのです。

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tomotomo

おはようございます(^O^)/
高校生の頃、地学が苦手で「地学を勉強して何か役に立つのかしら?」
と思っていたのですが、面白い学問なのですね。
kurakichiさんはお得意でしたか?
by tomotomo (2011-10-14 08:46) 

kurakichi

tomotomo さん

地学けっこう好きでした。
岩石や鉱物のプレパラートを偏光顕微鏡で見ると色がとても綺麗でした。
そんな記憶しかありませんが、、、

by kurakichi (2011-10-14 20:56) 

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