六地蔵と永代融通念仏塔 [神社仏閣教会]
閻魔堂がある貫井共同墓地の
入り口近くには
六地蔵があります。
この六地蔵の右二体に
貫井村中 と 文化十二年亥 の文字が読み取れました。
文化12年は1815年ですので この六地蔵は天保6年(1835年)に作られた閻魔坐像よりより古いものです。
六地蔵の隣には
永代融通念仏塔があります。
この辺りで信仰されていた念仏宗の集会日などが書かれています。
剥落していて全部は読み取れませんでしたが
右の一行は 為父母??
左の一行は 朝暮十(?)編以上
中央に 例會 毎月 一會 と書かれ
その下に 別會
その下に ??廿三日 三月廿三日 十月廿三日
と書かれていました。
この塔の右側面には
天明二年壬寅 と書かれていました。
天明2年は1782年ですのでこちらの方が六地蔵よりさらに古いものでした。
六地蔵の向かいにも
これらの石仏がありましたがいつのものであるかは分かりませんでした。
入り口近くには
六地蔵があります。
この六地蔵の右二体に
貫井村中 と 文化十二年亥 の文字が読み取れました。
文化12年は1815年ですので この六地蔵は天保6年(1835年)に作られた閻魔坐像よりより古いものです。
六地蔵の隣には
永代融通念仏塔があります。
この辺りで信仰されていた念仏宗の集会日などが書かれています。
剥落していて全部は読み取れませんでしたが
右の一行は 為父母??
左の一行は 朝暮十(?)編以上
中央に 例會 毎月 一會 と書かれ
その下に 別會
その下に ??廿三日 三月廿三日 十月廿三日
と書かれていました。
この塔の右側面には
天明二年壬寅 と書かれていました。
天明2年は1782年ですのでこちらの方が六地蔵よりさらに古いものでした。
六地蔵の向かいにも
これらの石仏がありましたがいつのものであるかは分かりませんでした。
「六地蔵」は、人間が死後、生前の善悪によって行きめぐる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上 の六つの苦界(六道)で、衆生の苦しみを救うためのものでしたよね^^;)
by 風来鶏 (2011-12-24 01:03)
風来鶏 さん
そのようですね。
そういった祈りのためか お寺の入り口や墓地によく見られますね。
by kurakichi (2011-12-24 06:59)
偶然ですが、私も昨日は唐木田の永代念仏供養塔をみて回っていました
by 駅員3 (2011-12-24 09:20)
駅員3 さん
貴兄の多磨の石仏を廻るシリーズ楽しく読ませていただいています。
唐木田の念仏供養塔も楽しみです。
by kurakichi (2011-12-24 10:04)
こんばんは。
興味深いものを拝見させていただきました。
読めないところ、複数で見ると読み方わかったりします。洗ったり、拓本を取ったりすると一層ですね。
by 夏炉冬扇 (2011-12-24 21:14)
夏炉冬扇 さん
拓本が有効な手段ですね。
一度トライしてみようかと思っています。
by kurakichi (2011-12-25 23:28)