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金王神社から並木橋へ  [神社仏閣教会]

都会の中の憩いの場所にもなっている
 
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金王八幡宮は狛犬たち、宝物殿に納められている御神輿や算額など見所がいっぱいあるのですが それについては次回のこととし足は次の目的地 並木橋 に向かいました。

しかし金王八幡宮のすぐ隣には
 
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豊榮稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)があって素通りするわけにも行かず
 
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立ち寄りました。

この豊榮稲荷神社は渋谷駅近くにあった渋谷氏に縁のある田中稲荷神社と道玄坂にあった豊澤稲荷神社が合祀されて昭和36年(1961年)にこの地に建てられた新しい神社です。
この神社の見所は境内に集められている
 
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13基の庚申塔です。
 
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この説明板にも書かれていますが 庚申塔は信仰のシンボルでもあるのですが道標の役割も果たしていたのです。
おそらく道路拡幅や区画整理などでやむを得ず本来あった地を離れてここに集められたのだと思います。
どの庚申塔がどこに置かれていたのかがわかれば古道がどのようにあったのかがわかるのですが 残念ながらそこまでの説明はありませんでした。

さて足は再び JRAの隣にある
 
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この木造の立ち飲みやの脇を通って並木橋に向かいました。

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コメント 6

めもてる

ビル街に木造の立ち飲み屋、商売になっているんですねー。
by めもてる (2013-03-16 09:58) 

motosoft

立ち飲み屋さんは、民家みたいですね。
演歌歌手とおぼしき女性のポスターが多数、応援していらっしゃるのでしょうね。
by motosoft (2013-03-16 10:06) 

kurakichi

めもてる さん

おそらく営業は競馬が開催される土日だけだと思います。

by kurakichi (2013-03-16 17:39) 

kurakichi

motosoft さん

店主の一押しなのでしょうね。

by kurakichi (2013-03-16 17:40) 

kjisland

明治政府の廃仏毀釈で廃寺、統合などされた時に一カ所にあつめられたのでしょうか?庚申塔のお話です。鎌倉でも、一カ所に集められているのを撮った事がありました。
by kjisland (2013-03-17 08:02) 

kurakichi

kjisland さん

庚申塔はもともと道の辻辻に立てられていたものが多く そのような状況から廃仏毀釈よりも区画整理や道の拡幅でゆき場がなくなって ここに集まったのだと思います。

by kurakichi (2013-03-17 20:18) 

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