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変わり始めた国分寺Ⅲ  [街並]

再開発後はタクシー乗り場とバス停は交通広場と呼ばれるいわゆる駅前ロータリーに移るわけですが 現在タクシーとバスは昨日の記事のバス通りを駅に向かい マクドナルドと中華柳屋の間をぬけ
 
130423_001.jpg

今の駅前ロータリーに来ます。

この駅前ロータリーを少し上から見てみます。
 
130423_002.jpg

このロータリーがある辺りに31階建ての高層ビルが建ちます。

写真でもよくわかりますがこの場所は南側に傾斜しています。
そして柳寿司の南際、そしてロータリーの端にある
 
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このビルの南際にある石垣の存在は このロータリーの場所は昔はもっと低くなっていて 
そこにはおそらく恋ヶ窪分水と同じ玉川上水から分水された
 
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国分寺村分水の一部(上図によれば単独の湧水だったかも)が流れていたはずです。
その痕跡もこの再開発でほとんどなくなってしまいます。

130423_004.jpg
 
駅前の北へ向かう通路の右側が先ほどの31階建ての高層ビルを中心とした東街区、左側が
 
130423_005.jpg

32階建ての高層ビルを中心とした西街区になる予定です。

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コメント 8

momiji

水郷や湿地帯だったなら、地盤はしっかりしないとですね。
by momiji (2013-04-23 00:29) 

風来鶏

話は全然違いますが、東京は“黒塗りのタクシー”が多いのでしょうか?!
地方で“黒塗り”と言えば、タクシー(乗合)というよりはハイヤー(貸切)の方が多いような気がします^^;)
by 風来鶏 (2013-04-23 10:14) 

お水番

柳寿司の南際に石垣が残っていたのですね。ロータリーのほうは、滅多に通ることがなくなったので、この石垣のことは知りませんでした。
さっそく見に行ってみます。
地形図を見てみると、この場所から西武多摩湖線の線路にかけて、独立した浅い谷があったようです。
なので、ここを流れていた用水の水源は、その浅い谷から湧出している独立した湧水だったかもしれませんね。
いやあ、本当に面白いですね。
再開発で何もかも消えてしまうのは、本当に残念・・・・。
by お水番 (2013-04-24 07:44) 

kurakichi

momiji さん

このあたりの地盤は関東ローム層という火山灰が積もってできたもので もともと弱い地盤です。
私が5歳のころ台風の大雨で家から5mも離れていない崖が崩れました。
幸い被害はなかったのですが 朝起きると家の前の道が土砂で埋まっていたのを覚えています。

by kurakichi (2013-04-24 10:04) 

kurakichi

風来鶏 さん

このあたりのタクシーはほとんど黒ですね。

by kurakichi (2013-04-24 10:05) 

kurakichi

お水番 さん

中央線に国分寺駅ができた一つの理由はここに川があって容易に水を使うことができた点にあると聞いたことがあります。
当時はすべて蒸気機関車でその機関車に大量の水を補給する必要があったのです。
実際国分寺駅には機関車区があってここで水や石炭を補給していました。
そしてここに流れていた川は今の自転車置き場の脇を流れ自転車置き場の東あたりで右に曲がり中央線の下をくぐって 殿ヶ谷戸庭園の東にあった窪地にあった水田を潤し もみじ橋あたりで野川に流れ出ていました。
今でも部分部分にその痕跡が見られます。

by kurakichi (2013-04-24 10:17) 

お水番

写真の石垣、見てきました。
この先の自転車置き場側、たしかにいかにも青道っぽい感じがしますね。
昔、自転車置き場の東側の近くに住んでいました。
そのころは、湧水にも用水にも関心がなくて、水路跡があるとは気付かなかったですが、さっそく見に行ってみます。

by お水番 (2013-04-27 10:29) 

kurakichi

お水番 さん

はたしてここに水が流れていたかどうかは私も淡い記憶しかないのではっきりしません。

by kurakichi (2013-04-27 21:08) 

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