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水路のある街Ⅰ  [街並]

sig さんの 20世紀・映画の時代 の上映場所の古石場文化センターへの行き方は事前に地図で確認していました。
場所がわかりにくいと言う人も多いようですがこの街は江戸時代に隅田川の中州を埋め立てられた場所で 両国にも似て道は縦横に規則正しく造られていて曲がり角を間違えなければ着けるだろうと街並みを楽しみつつぶらぶらと歩いてゆきました。
昨日の記事のスナック街の道を進むと
 
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枇杷の木が植えられている道に行き当たりました。

この道は右に向かって上りの傾斜になっていてそこには巴橋があって
 
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大横川が流れていました。
大横川はずっと先までまっすぐでこれは人工の川、運河の特徴です。
江戸時代から戦前まではこの川を使って多くの物資が運ばれていたので確かに運河なのですが 今はただただ静かに水をたたえるだけで運河というよりは水路という言い方のほうがふさわしく思えます。

さて先に進むと
 
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第二和泉湯という名の銭湯が頑張っていました。
さらに少し進むと
 
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小さくても品格を感じる住吉神社があります。
このお社は
 
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天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入ったときに一緒に大阪からやってきた漁師が佃島に祀った住吉神社から享保4年(1719年)に分祀して建てられたものなのだそうです。
この由来書きにはこの辺りのその後の発展についても書かれていて なんとこの辺りは明治維新ごろまでは料理茶屋が15軒、水茶屋が10軒もある深川岡場所と呼ばれる花街だったとのことです。
この辺りの地名は 牡丹 といいますが当時の艶かしさを感じます。

さてさらに進むと
 
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関口橋がありましたが ここは運河が埋め立てられて今は
 
130623_007.jpg

親水公園になっていました。

さらに進むと調練橋がありました。
おそらくこの名は最近 ぱぱくま さんが記事にされていた 東京海洋大学 に関係すると思われます。
この橋の西側は埋め立てられて公園になっていましたが 東側には水路がまだあって
 
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小型の漁船と屋形船が舫われていました。
この調練橋まで来てしまうと少し来すぎなので橋の手前の道を川に沿って歩き無事に
 
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古石場文化センターに着きました。
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風来鶏

家康公が、駿府(静岡)の“蕎麦職人”を江戸に連れていったのに似ていますね^^

by 風来鶏 (2013-06-23 09:05) 

kurakichi

風来鶏 さん

まずは食料の確保だったのですね。
それまではほとんど何もない田舎の江戸です。
信頼できる人たちを連れてきたのでしょうね。

by kurakichi (2013-06-23 09:45) 

sig

「牡丹」って粋な地名だと思ったのですが、やはりね。私も今回の縁で一帯を歩き、橋も随分撮りましたが、メモもせず、kurakichiさんの取材力に圧倒されております。
by sig (2013-06-25 14:39) 

kurakichi

sig さん

ハイ、私も粋な名前だなあと思ったのですが なぜ?という疑問が起こりました。
岡場所との関連は私の想像に過ぎませんが、、、

by kurakichi (2013-06-26 11:47) 

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