観測所と菅船長 [建造物]
東京海洋大学の正門を入ってすぐ左に曲がると
第一観測台と呼ばれている建物があります。
これは天文観測用の施設で
分銅の作用で地球の自転で観測している星が移動するものを自動的に追尾できる装置が組み込まれている天体望遠鏡が置かれていた建物です。
その天体望遠鏡は英軍に持ち去られたようでそれが残念です。
ペンキがはがれた木部に
年月を感じます。
ここにはもう一つ同じようにレンガで作られた
天文観測用の第二観測台があります。
こちらの建物にはドームがなく
望遠鏡は水平には回転せず、子午線(南極と北極を結ぶ線)上を通過する恒星を観測するものです。
というわけで天体観測用には
子午線上に四角い窓が切られています。(建物の反対側にも同様の窓があります。)
さてこの建物の近くに
なかなか素敵な石造がありました。
双眼鏡を手に持ち陀輪の前に立つ菅源三郎船長の石造です。
菅船長は貨客船の長崎丸に船長として乗船し、太平洋戦争時は、揚子江河口でアメリカの客船「プレジデント・ハリソン」を発見し、これを追跡して座礁させ民間人であっても武勲を挙げました。
昭和17年(1942年)5月17日に長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没をする際には最後まで船橋にあって指揮を取りましたが同船の死者13名と行方不明26名という惨事の責任をとって、3日後の5月20日に会社のビルの屋上で割腹自決をしました。
その菅船長の威徳を偲んで2年後の昭和20年(1945年)1月にこの石造が造られました。
初めて訪れた東京海洋大学でしたが見所が多い学校でした。
第一観測台と呼ばれている建物があります。
これは天文観測用の施設で
分銅の作用で地球の自転で観測している星が移動するものを自動的に追尾できる装置が組み込まれている天体望遠鏡が置かれていた建物です。
その天体望遠鏡は英軍に持ち去られたようでそれが残念です。
ペンキがはがれた木部に
年月を感じます。
ここにはもう一つ同じようにレンガで作られた
天文観測用の第二観測台があります。
こちらの建物にはドームがなく
望遠鏡は水平には回転せず、子午線(南極と北極を結ぶ線)上を通過する恒星を観測するものです。
というわけで天体観測用には
子午線上に四角い窓が切られています。(建物の反対側にも同様の窓があります。)
さてこの建物の近くに
なかなか素敵な石造がありました。
双眼鏡を手に持ち陀輪の前に立つ菅源三郎船長の石造です。
菅船長は貨客船の長崎丸に船長として乗船し、太平洋戦争時は、揚子江河口でアメリカの客船「プレジデント・ハリソン」を発見し、これを追跡して座礁させ民間人であっても武勲を挙げました。
昭和17年(1942年)5月17日に長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没をする際には最後まで船橋にあって指揮を取りましたが同船の死者13名と行方不明26名という惨事の責任をとって、3日後の5月20日に会社のビルの屋上で割腹自決をしました。
その菅船長の威徳を偲んで2年後の昭和20年(1945年)1月にこの石造が造られました。
初めて訪れた東京海洋大学でしたが見所が多い学校でした。
ちょうどいい大きさで、味わい深い形状ですね。
あれこれと想像力をかきたてられる建物です。
by b.b.mk2 (2013-07-23 07:37)
分銅式で自動追尾・・・画期的なシステムですね!!
その天体望遠鏡は、今でも「(世界標準時を計る)グリニッジ天文台」で使われているのではありませんか^^;)
by 風来鶏 (2013-07-23 09:37)
b.b.mk2 さん
大きさ形とも素晴らしいですね。
by kurakichi (2013-07-24 13:13)
風来鶏 さん
どこに行ったかわからないのはとても残念ですね。
by kurakichi (2013-07-24 13:14)
あれ
by 카지노사이트 (2020-11-09 15:07)
あれ
by 카지노사이트 (2020-11-09 15:08)