築地本願寺を去る前に [神社仏閣教会]
築地本願寺を去る前に本堂に置かれていたパンフレットをいただきました。
今は日本語、英語、フランス語、韓国語、中国語の5種類が用意されています、
帰ってから見比べてみると内容は若干違っていて 日本語のものには
境内の図がありました。
これは帰ったから気が付いたのですが 境内の左側(西北)に酒井抱一の墓があります。
この日は気が付かなったので次回は是非寄ってみようと思っています。
さてこの日は築地本願寺を去る前に 境内図では右側(西南)を少し見てみました。
その場所はこの日築地4丁目交差点から築地本願寺を眺めたとき気になった
木々の間に見えた石塔のある場所でした。
そこにあった石塔には
後備第弌師団記念碑と書かれていてその下部には
この記念碑の由来が書かれてあるようですがほとんど読み取れませんでした。
どうも日露戦争に参戦した記念のようです。
この石塔の隣には
台湾物故者の碑 があります。
これは太平洋戦争の敗戦で台湾に住んでいた日本人は本土に引き上げてきましたが それまでに亡くなった方のお墓はそのままでした。
戦後になってその台湾で物故された方々の遺骨を分骨してこの雪路本願寺に収めたのだそうです。
これはそのことの記念碑なのです。
台湾物故者の碑の隣には
古そうな石灯籠があるのですが これについてはその由来は全くわかりませんでした。
帰ってから見た2枚目の写真の境内図にはこの一画のものについての記述はありませんでした。
いろいろ疑問が残る築地本願寺でした。
今は日本語、英語、フランス語、韓国語、中国語の5種類が用意されています、
帰ってから見比べてみると内容は若干違っていて 日本語のものには
境内の図がありました。
これは帰ったから気が付いたのですが 境内の左側(西北)に酒井抱一の墓があります。
この日は気が付かなったので次回は是非寄ってみようと思っています。
さてこの日は築地本願寺を去る前に 境内図では右側(西南)を少し見てみました。
その場所はこの日築地4丁目交差点から築地本願寺を眺めたとき気になった
木々の間に見えた石塔のある場所でした。
そこにあった石塔には
後備第弌師団記念碑と書かれていてその下部には
この記念碑の由来が書かれてあるようですがほとんど読み取れませんでした。
どうも日露戦争に参戦した記念のようです。
この石塔の隣には
台湾物故者の碑 があります。
これは太平洋戦争の敗戦で台湾に住んでいた日本人は本土に引き上げてきましたが それまでに亡くなった方のお墓はそのままでした。
戦後になってその台湾で物故された方々の遺骨を分骨してこの雪路本願寺に収めたのだそうです。
これはそのことの記念碑なのです。
台湾物故者の碑の隣には
古そうな石灯籠があるのですが これについてはその由来は全くわかりませんでした。
帰ってから見た2枚目の写真の境内図にはこの一画のものについての記述はありませんでした。
いろいろ疑問が残る築地本願寺でした。
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