府中熊野神社と古墳 [神社仏閣教会]
府中熊野神社は葺石が張られ復元された古墳のすぐ前に
あたかも古墳がご神体のように建てられていますがこの神社は
御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)であって旧本宿村の総鎮守なのです。
もともとは他にあったものが安永6年(1777年)にこの地に移された神社なのです。
熊野神社の裏山は古墳ではないだろうかという噂は昔からあったのだそうですが それを信じて調査する人はいなかったようです。
平成2年(1990年)に山車の収納庫を建て替えることになり 裏山を削るとそこに何かがあることがわかり
平成15年(2003年)から本格的に発掘調査が行われ今の形に復元されました。
神社の裏の小山だったころは木々が生い茂っていましたが今はその木々は取り除かれ
真裏には熊野神社の鳥居も建てられています。
古墳の西側には
内藤道(ないとうみち)がありますが この道は江戸時代に内藤新田(国分寺市内藤一丁目二丁目当たり)が開発された時甲州街道から内藤新田に向かう道として作られた古い道です。
古い道であることは古墳のすぐ北にある
この別れの辻(Y字路)に
庚申塚があることでもわかります。
中央に置かれた『猿田彦大神』は比較的新しそうで その前にかなり古そうな青面金剛像が彫られた石塔と庚申と彫られた石塔が置かれています。
あたかも古墳がご神体のように建てられていますがこの神社は
御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)であって旧本宿村の総鎮守なのです。
もともとは他にあったものが安永6年(1777年)にこの地に移された神社なのです。
熊野神社の裏山は古墳ではないだろうかという噂は昔からあったのだそうですが それを信じて調査する人はいなかったようです。
平成2年(1990年)に山車の収納庫を建て替えることになり 裏山を削るとそこに何かがあることがわかり
平成15年(2003年)から本格的に発掘調査が行われ今の形に復元されました。
神社の裏の小山だったころは木々が生い茂っていましたが今はその木々は取り除かれ
真裏には熊野神社の鳥居も建てられています。
古墳の西側には
内藤道(ないとうみち)がありますが この道は江戸時代に内藤新田(国分寺市内藤一丁目二丁目当たり)が開発された時甲州街道から内藤新田に向かう道として作られた古い道です。
古い道であることは古墳のすぐ北にある
この別れの辻(Y字路)に
庚申塚があることでもわかります。
中央に置かれた『猿田彦大神』は比較的新しそうで その前にかなり古そうな青面金剛像が彫られた石塔と庚申と彫られた石塔が置かれています。
古墳と言えば生家のある上州の村落に40もの古墳が点在していました
子供の頃に発掘作業をよく見たものです 錆びた武具や刀剣も出てきました
今は都市化して殆どど残っていません 二子山だけが小公園になって残っています この古墳は有名で以前に発掘された武具などが上野の帝室博物館?にあると聞いていたが、過日帰郷したら上毛新聞の一面トップに重要文化財に指定されたとか載っていました ガキの頃二子山でよく遊んだものです
古老の話では夜間に古墳脇の農道を通ると松の木がユラユラ動いていたと・・・古墳盗掘が横行していたようです
by セイミー (2013-10-22 10:01)
遺跡の発掘は、工事で地面を掘って見ないとわからない事が多いですからね(^^;;
by 風来鶏 (2013-10-22 16:29)
セイミー さん
古墳と言えば関西と思ってしまうのですが 関東にも多く存在していますね。
by kurakichi (2013-10-22 20:21)
風来鶏 さん
この古墳の発見と調査がつい最近だったのには驚いてしまいました。
by kurakichi (2013-10-22 20:37)