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改修なった太田姫稲荷神社  [神社仏閣教会]

JR御茶ノ水駅聖橋口の前には
 
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千代田区が設置した町名由来板があります。
 
この説明によると元和2年(1616年)に徳川家康が駿府で没すると家康に付き添っていた旗本がその任を解かれ江戸にもどり それまで神田山と言っていたこの地に多く屋敷を構えました。
多くの駿河衆が住んだことからこの地が駿河台と呼ばれるようになったとのことです。
この説明板では文章の流れから神田山は本郷・湯島台と地続きで 神田川の開削で切り離され新たな台地となり そこに駿河衆が移り住んだように受け取れます。
しかし 今読んでいる芳賀ひらく氏の近刊『江戸東京地形の謎』からの孫引きですが都市研究者の鈴木理生(すずきまさお)氏の説では この開削が行われたのは元和6年(1620年)なのです。
つまり この地が独立した台地になったのと駿河衆が住み始めたのはほぼ同時期だったようです。

さてここから気になっている
 
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太田姫稲荷神社にお茶の水仲通りを通って向かいます。

途中 これも気になっている
 
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ニコライ堂と日本大学歯学部の境の崖を見て行きました。
この崖は江戸初期に城の東側に広がっていた日比谷入江を埋め立てるために神田山(駿河台)を削った跡だといわれています。
駿河台にはまだいくつかこのような崖が見られますがビルの建て替えなどで見られる場所がだんだん少なくなってきています。

さて太田姫稲荷神社ですが今年の4月に来た時
 
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改修工事が始まっていました。
それがどうなったか

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気になっていたのです。

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お神輿などを入れる蔵は新しくなりました。
 
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お社は土台と屋根は新しくなりましたがこれまでの古い材料を極力使い
 
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ほぼ前のままの姿です。
裏にあった
 
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太田道灌供養塔
 
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拝殿脇に移されていました。
そしてこれはとても残念なことなのですが私の好きなあの
 
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お狐さまがいなかったことです。
傷みが激しかったのできっと修繕中でいつかまた
 
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ここに戻ってくると信じています。

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コメント 4

モリガメ

懐かしい!尻尾が柱にぶつかりそうなお狐様ですね。

by モリガメ (2013-10-27 06:40) 

風来鶏

ここ、前に「ブラタモリ」でやりませんでしたか?!
あの時、アシスタントを務めたNHKの久保田佑佳アナは駿府(静岡市)の出身です^^


by 風来鶏 (2013-10-27 17:00) 

kurakichi

モリガメ さん

ご存知でしたか。
とても優しい顔のお狐さまですね。

by kurakichi (2013-10-27 20:15) 

kurakichi

風来鶏 さん

この太田姫稲荷神社は出てこなかったと思いますが この地域は『本郷台地編』と『神田編』で出てきますね。
『本郷台地編』では神田川の開削工事に触れていました。
久保田アナは最近ニュースを読んでいるのを見ましたよ。

by kurakichi (2013-10-27 20:24) 

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