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宝仙寺そして東中野  [街並]

今の生活は鉄道、特に武蔵野に住む者にとっては 京王線や西武線もあるがなんといってもその輸送量からして中央線が軸になっていて街の見方もベースは中央線からの見えであったり、中央線の駅を中心としたとらえたものになってしまいます。
しかし江戸時代は街道で人や物が動き 街はその街道を中心に発展しました。
しかし今は 街道は車で郊外から都心に行くための単なる通路としてしての機能面しか重要視されていません。
青梅街道も江戸時代の重要な街道であって この街道を中心として街ができ その街が大きなってきたのですが 交通量が増えることによって拡張され、生活様式も変わることで昔の面影はどんどんなくなってきています。
しかし今でもその名残が少しは残っているはずで 歩くことでそれらの一部を見、感じることができればと思っています。
この日もそういった思いから中野坂上で地下鉄に乗らず少し歩いてみたのです。
中野坂上からは西へ商店街が少し並んでいて それが切れた辺りで右に入る
 
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お寺の参道がありました。
もちろん足はそちらに向かいます。

山門に立派な仁王像があるこのお寺は明王山宝仙寺という真言宗豊山派のお寺で 平安後期の寛治年間(1087~94)に源義家によって創建されたもので 初めは阿佐谷にあったものが室町時代にこの地に移ったものなのだそうです。

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境内の三重塔は戦災で建て替えられていますが 江戸時代はこれを見に江戸市中の多くの人がこの地を訪れています。
まあ徒歩で一日で行って帰れる観光地だったわけです。
今の感覚でいえば ホリデー快速で高尾山や御岳山に行くようなものかもしれません。

そうそうこのお寺には
 
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中野町役場も置かれていたことがあって ある意味中野の中心地だったのです。

さてこのお寺の西側は窪地になっていて そこには
 
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お墓もあり お墓の先には現在の中心地、中野駅脇にある中野サンプラザも見えます。
 
さてこのお墓の脇の道を行くと
 
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榛名神社、明徳稲荷神社、秋葉神社が祀られている神社があって その脇には
 
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とても魅力的は分かれ道がありました。
メインの通りから一歩入るとこのような昔の生活道路が今でもあります。
水は低きに流れるに従って右の道を選び少し行くと
 
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今ではめったに見られない下見板張りの家が現役でありました。
この家の主が世代替わりするときは無くなってしまうのでしょう。
ここからは若干の坂道で それを下りきると
 
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金剛橋とかかれた親柱がある場所に出ました。
もちろんここには川は流れていません。
ここは
 
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以前歩いたことがある桃園川緑道です。
桃園川緑道を越え坂を上り住宅街を抜けると
 
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ずいぶん様変わりした
 
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東中野駅に出ました。

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コメント 6

斗夢

宝泉寺は高名な方の葬儀が行われることが多かったように記憶しているのですが。
中野坂上・・・仕事で山手通りをよく走っていました。
by 斗夢 (2014-06-07 08:07) 

風来鶏

静岡市葵区井川町に、下見板張りの市営住宅(?)が残っていたような気がします(^^;;
by 風来鶏 (2014-06-07 16:51) 

COLE

山手通り沿いの東中野はすっかり様子が変わりましたね
by COLE (2014-06-07 22:40) 

kurakichi

斗夢 さん

宝仙寺は幼稚園から斎場まで まさにゆりかごから墓場までですね。

by kurakichi (2014-06-08 01:40) 

kurakichi

風来鶏 さん

確かに昔の市営住宅はほとんど下見板張りでしたね。

by kurakichi (2014-06-08 01:42) 

kurakichi

COLE さん

ハイ、首都高環状線が地下にできて全く変わってしまいましたね。

by kurakichi (2014-06-08 01:43) 

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