従兄の七七日忌法要 [冠婚葬祭]
6月20日に母方の従兄の七七日忌法要に行ってきました。
場所は相原にある
清水寺(せいすいじ)でした。
このお寺には私のご先祖様である青木得庵さんの業績をたたえる善寧児先生碑があって以前それを見にこのお寺に来たことがあります。
善寧児はジェンナーの当て字で 江戸時代の末に得庵さんは多摩、津久井などで粘り強く種痘の普及に努力し、 その功績を讃えるためにこの碑が建てられました。
従兄の葬儀にも参列したのですが
それはそれは盛大な葬儀でした。
それは当然と言えば当然のことなのです。
その従兄は相模原の葬儀社永田屋の会長だったからです。
自社のセレモニーホールで葬儀は行われましたが入り口には
故人を偲ぶディスプレーもありました。
実はこの葬儀の数日前に友人の葬儀にも参列したのですがそちらにも
音楽好きだった彼を偲ぶディスプレーがあって 無宗教の彼の葬儀は
音楽葬でした。
葬儀の形式も時代によって変化してきています。
永田屋さんもそのHPを見ると今のご時世に合わせて様々なプランが用意されています。
さて今回の七七日忌法要はもちろん身内のものなので菩提寺で
お経をあげ、
裏にある墓地に納骨し、
場所を変えてお斎をいただき お開きになるといったものでした。
今回は写真の和尚さんの後ろのスクリーンに昨年行われた永田屋100周年の記念事業の映像が故人を偲ぶために流されたことが新機軸でした。
こういった法事も場所や時代によって少しずつ変わって行くものなのでしょうがセレモニーとしての葬儀よりは変化が少ないように感じました。
帰りに香典のお返しとして大きな紙袋をいただきましたがその中には菓子や果物の他に
祭壇に供えられていた砂糖、
切り餅、
それに
昔ながらの葬式饅頭が入っていて 小さい頃歌った そうだ村の村長さん を思い出し懐かしく感じました。
場所は相原にある
清水寺(せいすいじ)でした。
このお寺には私のご先祖様である青木得庵さんの業績をたたえる善寧児先生碑があって以前それを見にこのお寺に来たことがあります。
善寧児はジェンナーの当て字で 江戸時代の末に得庵さんは多摩、津久井などで粘り強く種痘の普及に努力し、 その功績を讃えるためにこの碑が建てられました。
従兄の葬儀にも参列したのですが
それはそれは盛大な葬儀でした。
それは当然と言えば当然のことなのです。
その従兄は相模原の葬儀社永田屋の会長だったからです。
自社のセレモニーホールで葬儀は行われましたが入り口には
故人を偲ぶディスプレーもありました。
実はこの葬儀の数日前に友人の葬儀にも参列したのですがそちらにも
音楽好きだった彼を偲ぶディスプレーがあって 無宗教の彼の葬儀は
音楽葬でした。
葬儀の形式も時代によって変化してきています。
永田屋さんもそのHPを見ると今のご時世に合わせて様々なプランが用意されています。
さて今回の七七日忌法要はもちろん身内のものなので菩提寺で
お経をあげ、
裏にある墓地に納骨し、
場所を変えてお斎をいただき お開きになるといったものでした。
今回は写真の和尚さんの後ろのスクリーンに昨年行われた永田屋100周年の記念事業の映像が故人を偲ぶために流されたことが新機軸でした。
こういった法事も場所や時代によって少しずつ変わって行くものなのでしょうがセレモニーとしての葬儀よりは変化が少ないように感じました。
帰りに香典のお返しとして大きな紙袋をいただきましたがその中には菓子や果物の他に
祭壇に供えられていた砂糖、
切り餅、
それに
昔ながらの葬式饅頭が入っていて 小さい頃歌った そうだ村の村長さん を思い出し懐かしく感じました。
私の処では・・・
♪ソーダ屋のソーダさんがソーダ飲んで
死んだソーダ
葬式饅頭でっかいソーダ♪
って子供の頃唄いました
by taku1_lily (2014-06-21 05:13)
「そうだ村の村長さん」、私達も子供の頃良く歌いましたね^^;)
by 風来鶏 (2014-06-21 08:58)
takua1_lily さん
この歌は地方によって若干違いはあるものの全国的なのもののようです。
しかしこの歌を歌ったことがある人は50歳以上の人のような気がします、
by kurakichi (2014-06-22 00:03)
風来鶏 さん
この歌を歌ったことがあるということは 風来鶏さんも私とほぼ同年代ということがはっきりしました。
今時 葬式饅頭ってなに? と言われてしまいます。
by kurakichi (2014-06-22 00:05)