分倍河原で古墳さがしⅢ [史跡・遺跡・遺構]
高倉塚古墳から道なりに西に進み陣街道に出て右に曲がるとすぐに
南武線の神社前踏切があってその先に
陣街道の標識があります。
ここには この道の名は中世に軍勢が陣立てをして往来したことによると書かれていました。
別名には 鎌倉街道、浅間道、分倍道 があるとも書かれています。
陣街道の標識があるところにあるのが
八雲神社です。
前回ここに寄ったときは神社脇にある元応の板碑に関心が向いていたために古墳について全く見落としてしまいました。
本殿とその右脇にあるお稲荷さんの間から覗くと
確かに塚らしきものがあります。
その塚をぐるっと回ってみました。
本殿を建てる時に塚の一部を削ったためか玉石で壁が作られています。
高倉塚よりは小ぶりですがまさしくこれが円墳でした。
参道脇ある
説明板の最後の2行には
さらに、神社境内の奥には、高倉古墳群の一つ天王塚古墳(六世紀後期)が未調査のまま唯一現存の古墳として残されております。
と書かれていました。
南武線の神社前踏切があってその先に
陣街道の標識があります。
ここには この道の名は中世に軍勢が陣立てをして往来したことによると書かれていました。
別名には 鎌倉街道、浅間道、分倍道 があるとも書かれています。
陣街道の標識があるところにあるのが
八雲神社です。
前回ここに寄ったときは神社脇にある元応の板碑に関心が向いていたために古墳について全く見落としてしまいました。
本殿とその右脇にあるお稲荷さんの間から覗くと
確かに塚らしきものがあります。
その塚をぐるっと回ってみました。
本殿を建てる時に塚の一部を削ったためか玉石で壁が作られています。
高倉塚よりは小ぶりですがまさしくこれが円墳でした。
参道脇ある
説明板の最後の2行には
さらに、神社境内の奥には、高倉古墳群の一つ天王塚古墳(六世紀後期)が未調査のまま唯一現存の古墳として残されております。
と書かれていました。
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