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江戸時代の羽村取水堰を偲ぶ  [公園]

多摩川の河原から見上げると
 
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羽村取水堰はお城の石垣のように石組みされていて、その堤の上に銅像の後ろ姿が見えます。
ここは施設としては昨日の記事の第一水門と第二水門があるところですが玉川上水の右岸が洪水時の多摩川に耐えられるように堤が分厚く作られてていてその上面はちょっとした広場になっています。

その広場には この玉川上水を作るときに指揮官としてその任に当たった
 
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玉川兄弟の銅像があります。
この銅像は昭和33年(1958年)に作られ、台座の裏面には
 
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東京都知事 安井誠一郎の名で今でもその重要性が失われず都民の上水道として利用されているこの玉川上水を作った玉川兄弟に対する感謝が刻されています。

この広場には昨日の記事に使った投渡堰の洪水時の写真や春の桜が咲いている堤の写真も掲げられていて、他には
 
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ここに江戸時代に 山で切り出した木材を多摩川に流すために 堰の筏通し場 が作られ、それが大正時代まであったことの説明と その筏通し場の写真も
 
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掲示されています。

また コンクリートなど無かった江戸時代の人が川の流れを抑えるための
 
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工夫についての展示もあります。

そしてここには
 
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今の玉川上水の上水道への利用についての掲示もあります。
玉川上水の水は今でも東京都民のための上水として利用されています。
ここから少し下流の第三水門で取水された水は地下水路を通って村山貯水池に運ばれ、さらに下流の小平監視所で取水された水は東村山浄水場に地下水路で運ばれて都民の上水道として使われています。

この玉川上水の右岸は玉川兄弟によって新しく築かれた堤でそこを下流に向かって歩いていたら
 
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羽村橋のたもとに出ました。
ここから先の右岸は
 
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東京都水道局の施設になっていて歩くことができないので 玉川上水の左岸にある
 
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奥多摩街道を行くと 少し先に
 
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玉川上水第三水門があってここから一部の水が地下水路を使って村山貯水池に運ばれています。

この辺りの東京の上水事情についてもっと知りたい方はぜひ駅員3さんの記事、
http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2010-01-01-1 をクリックしてください。

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コメント 6

駅員3

ご紹介いただき、ありがとうございます。
羽村から歩き始めたのが5年前。
実際に歩いたのは立川の天王橋付近まで。記事でアップしたのは昭島くらいまでです。
忙しくてすっかり橋巡り、坂巡り、そして上水ウォークから遠ざかってしまいました。
by 駅員3 (2014-12-22 07:05) 

楽しく生きよう

昔の人はすごいことしていたんですね。
by 楽しく生きよう (2014-12-22 09:07) 

kurakichi

駅員3 さん

玉川上水は歩き始めるとすべて踏破してみたくなりますね。

by kurakichi (2014-12-22 10:37) 

kurakichi

楽しく生きよう さん

機械のない時代 知恵と人力だけですごい仕事をしていますね。
その工夫には頭が下がります。

by kurakichi (2014-12-22 10:39) 

majyo

日曜日に多摩湖を7キロほど歩きました。
いわゆる村山貯水池ですね。
地下を通ってくるというのが想像できないのですが
この水も多摩川から・・・そう思うと
なんだかワクワクします。
by majyo (2014-12-22 18:06) 

kurakichi

majyo さん

地下水道ではなく地上においても羽村と多摩湖はほぼ直線でつながっています。
それは次の記事で、、、

by kurakichi (2014-12-22 23:56) 

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