東京水道と軽便鉄道跡 [史跡・遺跡・遺構]
玉川上水第三水門を見てから はて羽村駅に戻ろうかとも思ったのですがここまで来たので羽村駅の一つ立川寄りにある福生駅まで歩こうと決めました。
ということで少し上り坂になっている奥多摩街道を少し行くと左手に
ちょっと不思議な空き地がありました。
なんだろう?と気になって写真を撮ったのですが 帰ってから羽村取水堰の記事を書こうと調べてみたら この場所は第三水門で取水された水が村山貯水池に運ばれる地下水道羽村線に関係するものでした。
写真の玉石垣の上のガードレールの部分は遠江坂(とおとおみざか)でこの坂を上るとその先はほぼ一直線の道になっています。
これは国土地理院の地図ですが+印があるところが写真の不思議な場所です。
もっと詳しく地図を見たい人は ここ をクリックしてみてください。
+印から東に直線で細い道があって、道がないところには青色の点線が書かれています。
この青い点線は
横田基地の中央付近にも書かれていてそこには 東京水道 と書かれています。
つまりこの青色の点線が玉川上水第三水門で取水された水が村山貯水池に運ばれる地下水道なのです。
横田基地の下をくぐったこの水道は
まだまだ続いています。
この青い点線の下には水道が通っているのですが この場所は 羽村山口軽便鉄道 と呼ばれた鉄道の軌道跡でもあるのです。
詳しい経緯についてはよく知らないのですが この軌道はこの地下水道羽村線を作る時、そして同時に村山貯水池を作るための資材を運ぶために作った東京都水道局の私的な鉄道だったのですが それらの作業が終了した時点で軌道は撤去されました。
今現在は途切れ途切れになっていますが細い道や遊歩道としてその一部が残っていて 武蔵村山市中原3丁目の南端から東に向かって先は
旅の者ですが、さんのHPによれば村山貯水池までしっかり遊歩道として利用されているようです。
そうそうこの地下水道の東京水道と羽村山口軽便鉄道については 駅員3さんも記事にされていますので http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12 をクリックしてみてください。
ここに来た時は何か不思議な空き地だなあといった印象で あとから考えると崖を上って 駅員3 さんのように歩いても良かったのですが この時は玉川上水より少し高い位置に行ってしまっていたため玉川上水そばにはどうやったら行けるのかということに気を取られていました。
そこに
奥多摩街道から右に下りる坂があったので さっそく下りてみました。
この坂は
堂坂と言って 坂を下りた辺りの左手に薬師堂があったのですが そこはまさに玉川上水がある場所で、そのお堂は玉川上水を作る際に移転しています。
玉川上水に架かる橋も
堂橋と呼ばれています。
フェンスで仕切られていますが
玉川上水の右岸を歩いて先に進みます。
ということで少し上り坂になっている奥多摩街道を少し行くと左手に
ちょっと不思議な空き地がありました。
なんだろう?と気になって写真を撮ったのですが 帰ってから羽村取水堰の記事を書こうと調べてみたら この場所は第三水門で取水された水が村山貯水池に運ばれる地下水道羽村線に関係するものでした。
写真の玉石垣の上のガードレールの部分は遠江坂(とおとおみざか)でこの坂を上るとその先はほぼ一直線の道になっています。
これは国土地理院の地図ですが+印があるところが写真の不思議な場所です。
もっと詳しく地図を見たい人は ここ をクリックしてみてください。
+印から東に直線で細い道があって、道がないところには青色の点線が書かれています。
この青い点線は
横田基地の中央付近にも書かれていてそこには 東京水道 と書かれています。
つまりこの青色の点線が玉川上水第三水門で取水された水が村山貯水池に運ばれる地下水道なのです。
横田基地の下をくぐったこの水道は
まだまだ続いています。
この青い点線の下には水道が通っているのですが この場所は 羽村山口軽便鉄道 と呼ばれた鉄道の軌道跡でもあるのです。
詳しい経緯についてはよく知らないのですが この軌道はこの地下水道羽村線を作る時、そして同時に村山貯水池を作るための資材を運ぶために作った東京都水道局の私的な鉄道だったのですが それらの作業が終了した時点で軌道は撤去されました。
今現在は途切れ途切れになっていますが細い道や遊歩道としてその一部が残っていて 武蔵村山市中原3丁目の南端から東に向かって先は
旅の者ですが、さんのHPによれば村山貯水池までしっかり遊歩道として利用されているようです。
そうそうこの地下水道の東京水道と羽村山口軽便鉄道については 駅員3さんも記事にされていますので http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12 をクリックしてみてください。
ここに来た時は何か不思議な空き地だなあといった印象で あとから考えると崖を上って 駅員3 さんのように歩いても良かったのですが この時は玉川上水より少し高い位置に行ってしまっていたため玉川上水そばにはどうやったら行けるのかということに気を取られていました。
そこに
奥多摩街道から右に下りる坂があったので さっそく下りてみました。
この坂は
堂坂と言って 坂を下りた辺りの左手に薬師堂があったのですが そこはまさに玉川上水がある場所で、そのお堂は玉川上水を作る際に移転しています。
玉川上水に架かる橋も
堂橋と呼ばれています。
フェンスで仕切られていますが
玉川上水の右岸を歩いて先に進みます。
またまたご紹介いただいてありがとうございます。
玉川上水を歩くのが趣旨だったのに、この後数か月は軽便鉄道の痕を追いかけてしまいました。
軽便鉄道を追いかける記事も面白いものと思いますので、ぜひご覧ください。
軽便鉄道は東京都水道用地の中を取材するべく水道局と交渉したのですが・・・また改めて交渉して許可が下りた暁には、みなさんで歩きましょう・・・といっても藪漕ぎになりますが。
by 駅員3 (2014-12-23 09:30)
私のブログの当初の目的は、1970年に全線が廃線となった「駿遠線」の跡を歩くという事だったのですが、未だ2回しか実行されていません(^^;;
by 風来鶏 (2014-12-23 19:13)
福生って
確か大瀧詠一さんが住んでいたらしいですね。。
突然お亡くなりになって残念です。。
by Far-East (2014-12-23 19:48)
駅員3 さん
ハイ、貴兄の記事で軽便鉄道の勉強をさせてもらいました。
いつか歩いてみようかと思っています。
by kurakichi (2014-12-24 08:57)
風来鶏 さん
では来年は初心に戻って歩いてみてはいかがでしょうか。
記事アップを待っています。
by kurakichi (2014-12-24 08:58)
Far-East さん
そうですね。
大瀧さんが亡くなって一年ですね。
by kurakichi (2014-12-24 08:59)