堂橋から新堀橋まで [建造物]
さて奥多摩街道から堂坂を下ったところには玉川上水に架かる堂橋があって、
ここからは
玉川上水に沿って右岸を歩くことができます。
玉川上水の左岸は
切り立った崖なのですが これは多摩川が削って造った崖をさらに削って整えたものです。
それに対して右岸は
おそらくその時削り取った土を盛って築かれています。
この右岸は途中から
若干の上り勾配になっていて ちょうど羽村市と福生市の境界付近の
この基準点と書かれた標識がある辺りから
上り勾配がきつくなリます。
つまりこの辺りで築堤箇所が終わり 玉川上水は武蔵野台地を削って進むことになり、徐々に多摩川から離れて行きます。
急になった坂の途中から
右下に下りる枝道があるところに
小さなお社がありました。
おそらく水神様をお祀りしていると思われますが この武蔵野台地に玉川上水がいざ入り込もうとする場所にあることに大きな意味を感じます。
もし工事の初期からあったものならば工事の安全を祈ったのはもちろんのこと ここから始まる開削工事に対する玉川兄弟の強い意志を示したもののように見えました。
さらに道を進むと
道の右側には小山があって 玉川上水はもう完全に武蔵野台地内の川になっています。
この小山の先に
橋がありました。
橋の名は
新堀橋と言い、ここは人の手で新しく掘った場所なのだと宣言しています。
ここからは
玉川上水に沿って右岸を歩くことができます。
玉川上水の左岸は
切り立った崖なのですが これは多摩川が削って造った崖をさらに削って整えたものです。
それに対して右岸は
おそらくその時削り取った土を盛って築かれています。
この右岸は途中から
若干の上り勾配になっていて ちょうど羽村市と福生市の境界付近の
この基準点と書かれた標識がある辺りから
上り勾配がきつくなリます。
つまりこの辺りで築堤箇所が終わり 玉川上水は武蔵野台地を削って進むことになり、徐々に多摩川から離れて行きます。
急になった坂の途中から
右下に下りる枝道があるところに
小さなお社がありました。
おそらく水神様をお祀りしていると思われますが この武蔵野台地に玉川上水がいざ入り込もうとする場所にあることに大きな意味を感じます。
もし工事の初期からあったものならば工事の安全を祈ったのはもちろんのこと ここから始まる開削工事に対する玉川兄弟の強い意志を示したもののように見えました。
さらに道を進むと
道の右側には小山があって 玉川上水はもう完全に武蔵野台地内の川になっています。
この小山の先に
橋がありました。
橋の名は
新堀橋と言い、ここは人の手で新しく掘った場所なのだと宣言しています。
こんにちは。
かろうじて武蔵野の感じが残っているような・・・
by sig (2014-12-26 16:52)
sig さん
雑木林の感じはやはり武蔵野ですね。
by kurakichi (2014-12-27 02:07)