正月に読んだ本と見たビデオ [食と料理]
先日の記事 お獅子とお節 の最後で
私にとってお節は原点に返って和食の作り方を学び直す良い機会だと思っています。
ということで今回は瓢亭さんから少し学ばせていただきました。
と書きました。
暮に買った 京都・瓢亭 四季の日本料理 もこの正月に読みましたが 図書館で借りた
熊倉功夫氏の 日本料理の歴史 も読みました。
そして取りためていてまだ見ていなかった
NHKの 歴史秘話ヒストリア 和食はどうしておいしくなった!? を見ました。
両方とも内容は重なる部分が多かったので 歴史秘話ヒストリア のキャプチャーを使って和食の歴史について書いてみます。(NHKさんお許しを!)
まずかなり昔、鎌倉以前の料理はどうであったかというと
平安時代の貴族は
かなり多様な食材を食べていたようですが それらのほとんどは生か干物で味付けはなく 食べる時に塩をつけて食べていたものでした。
そして鎌倉時代になって宋で禅宗を学んで帰国した道元禅師が宋で学んだ精進料理を
修行としてとらえ広めていきました。
宋の精進料理は
もうかなりのレベルに達していて味付けにおいてもこれまでの日本にはなかったものでした。
ここで日本料理が大きく変わったのです。
次の武士の時代では国内の流通も発達し
北海道の昆布と南国の鰹が出会って出汁ができたといわれています。
武士の時代は料理が権威の象徴になり いかに豪華な料理で主君や家臣をもてなすかが競われ
本膳料理という形式が確立されました。
この時代には
流派を名乗る料理人集団も登場しています。
瓢亭もこの流れの中から生まれたお店で400年以上の歴史を持っています。
武士の時代でも戦国期になると豪華絢爛の風潮から再び質実剛健、精神的な回帰が生まれ それは茶の湯の台頭に見て取れます。
利休のお師匠さん武野紹鴎は茶事の食事は
一汁三菜にとどめるべきだとし 弟子の利休はそこに
精進料理を取り入れ懐石料理を完成させました。
ほぼこの時点で今の日本料理、和食の形が定まりました。
これはお茶事に出される料理ですが 最初に出されるものは手前の黒塗りの折敷にのったご飯、味噌汁、向付の三品で そのほかのものは時分を見計らって亭主自らが給仕します。
亭主自らの手でということがもてなしの心の神髄ですが、もう一つ重要な点は それまで料理は作っておいたものを食べる速度とは関係なくほぼ一気に出しましたが 温かいものは暖かく、冷たいものは冷たい時にという時系列で料理を出すことも始まりました。
つまりコース料理という形式はフランス料理よりはるか昔にこの日本で作られた形式なのです。
和食は2013年にユネスコの無形文化財に選ばれましたがこの歴史を見ればそれも納得です。
私にとってお節は原点に返って和食の作り方を学び直す良い機会だと思っています。
ということで今回は瓢亭さんから少し学ばせていただきました。
と書きました。
暮に買った 京都・瓢亭 四季の日本料理 もこの正月に読みましたが 図書館で借りた
熊倉功夫氏の 日本料理の歴史 も読みました。
そして取りためていてまだ見ていなかった
NHKの 歴史秘話ヒストリア 和食はどうしておいしくなった!? を見ました。
両方とも内容は重なる部分が多かったので 歴史秘話ヒストリア のキャプチャーを使って和食の歴史について書いてみます。(NHKさんお許しを!)
まずかなり昔、鎌倉以前の料理はどうであったかというと
平安時代の貴族は
かなり多様な食材を食べていたようですが それらのほとんどは生か干物で味付けはなく 食べる時に塩をつけて食べていたものでした。
そして鎌倉時代になって宋で禅宗を学んで帰国した道元禅師が宋で学んだ精進料理を
修行としてとらえ広めていきました。
宋の精進料理は
もうかなりのレベルに達していて味付けにおいてもこれまでの日本にはなかったものでした。
ここで日本料理が大きく変わったのです。
次の武士の時代では国内の流通も発達し
北海道の昆布と南国の鰹が出会って出汁ができたといわれています。
武士の時代は料理が権威の象徴になり いかに豪華な料理で主君や家臣をもてなすかが競われ
本膳料理という形式が確立されました。
この時代には
流派を名乗る料理人集団も登場しています。
瓢亭もこの流れの中から生まれたお店で400年以上の歴史を持っています。
武士の時代でも戦国期になると豪華絢爛の風潮から再び質実剛健、精神的な回帰が生まれ それは茶の湯の台頭に見て取れます。
利休のお師匠さん武野紹鴎は茶事の食事は
一汁三菜にとどめるべきだとし 弟子の利休はそこに
精進料理を取り入れ懐石料理を完成させました。
ほぼこの時点で今の日本料理、和食の形が定まりました。
これはお茶事に出される料理ですが 最初に出されるものは手前の黒塗りの折敷にのったご飯、味噌汁、向付の三品で そのほかのものは時分を見計らって亭主自らが給仕します。
亭主自らの手でということがもてなしの心の神髄ですが、もう一つ重要な点は それまで料理は作っておいたものを食べる速度とは関係なくほぼ一気に出しましたが 温かいものは暖かく、冷たいものは冷たい時にという時系列で料理を出すことも始まりました。
つまりコース料理という形式はフランス料理よりはるか昔にこの日本で作られた形式なのです。
和食は2013年にユネスコの無形文化財に選ばれましたがこの歴史を見ればそれも納得です。
この記事を読んで納得しました。歳とともにたくさん食べられなくなりました。一汁三菜あれば十分です。
by takenoko (2015-01-08 07:51)
ご馳走という言葉は、走り回って
材料を吟味して集めてもてなすこと、
といいますよね。
懐石とはそういうことが凝縮された
様式美ですねー。
(さすがNHK。器もしつらえも美しい。)
by あとりえSAKANA (2015-01-08 09:57)
いつも記事がすごく地元なので楽しく拝読しております。
食べるものの記事にも愛情が感じられ、とてもためになります。
今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2015-01-08 11:07)
"お・も・て・な・し"は、精進料理からうまれたのですね(^^;;
by 風来鶏 (2015-01-08 14:59)
43品の料理、食べてみたいなぁ^^
by さる1号 (2015-01-08 20:53)
takenoko さん
私は一汁二菜で充分です。
by kurakichi (2015-01-09 00:47)
あとりえSAKANA さん
数が多ければいいとか豪華であればいいといった考えから脱却することが大切ですね。
by kurakichi (2015-01-09 00:50)
lequiche さん
年頭からお褒めの言葉を頂戴して恐縮です。
こちらこそよろしくお願いいたします。
by kurakichi (2015-01-09 00:51)
風来鶏 さん
中国から伝わった精進料理が和食の基礎になっていて そこから発展して懐石料理が生まれました。
懐石料理は亭主が客を招いてそこで出される料理ですから「おもてなし」の考え方がその中心にあるのですね。
by kurakichi (2015-01-09 01:01)
さる1号 さん
とてもとても食べきれる量ではありません。
見るだけでお腹いっぱいになりそうです。
by kurakichi (2015-01-09 01:02)