横浜橋商店街と永真遊郭街 [街並]
さて
横浜橋商店街に入ってみます。
横浜橋商店街は古くかある商店街のようですが
アーケードは新しく作り直されていて明るくなかなか綺麗な商店街です。
ざっと歩いてみて感じたことですが ここは他の色々な商店街と比較して鮮魚やさんと中華系の惣菜屋さんの比率が高いようです。
入口から割合近くの脇道に
ちょっと古風な喫茶店マツモトがあったのでここで一服です。
ここでコーヒーを飲んでいたらいきなり地震が来ました。
庶民的なこのお店は
開け放たれたドアから近所の店主や学校終わりの小学生が店を覗いて 地震大丈夫だった? とマスターに声をかけていきます。
そのマスターに話を聞くとこのお店は今年で70年なのだそうです。
御両親が戦前に野毛で喫茶店を始めたのだそうですが戦災で焼け出され戦後すぐにここに移ってきたのだそうです。
なかなか庶民的というか下町的雰囲気が残っているお店でした。
確かこの辺に遊郭があったですよねーと聞くと
隣の金刀比羅神社の前が遊郭だったんだよと教えてくれました。
さらにここの妓楼富士楼で生まれた桂歌丸さんの家も教えてくれました。
歌丸さんは昨日1日に入院されたようですがお年もお年なのでちょっと気になります。
その
この金刀比羅神社は正しくは金刀比羅大鷲神社と言って
元々は幕末の横浜開港に当たり海運の安全を願うために讃岐の金刀比羅宮を勧請したものです。
そして開港と同時に作られた港崎遊郭の鎮守でもあったことから その後遊郭が点々と場所を変えるごとそれに伴って遷移し 最終地点のこの場所に移ってきたのだそうです。
港崎遊郭が明治4年(1872年)に高島町に移転して高島町遊郭になった時 江戸吉原の例に従って大鷲神社を勧請したのだそうです。
金刀比羅大鷲神社の前の参道は確かに
異様に幅広く中央分離帯もあって 遊郭の名残をとどめている気がします。
今はマンションになっている
このビルの一階に入っている仕出し屋さんもここに遊郭があった時から続くお店なのでしょう。
そのような過去の歴史に思いをはせていたためか 道の中央分離帯にに咲いていた
立葵と薊にお女郎さんの姿を見たように感じました。
横浜橋商店街に入ってみます。
横浜橋商店街は古くかある商店街のようですが
アーケードは新しく作り直されていて明るくなかなか綺麗な商店街です。
ざっと歩いてみて感じたことですが ここは他の色々な商店街と比較して鮮魚やさんと中華系の惣菜屋さんの比率が高いようです。
入口から割合近くの脇道に
ちょっと古風な喫茶店マツモトがあったのでここで一服です。
ここでコーヒーを飲んでいたらいきなり地震が来ました。
庶民的なこのお店は
開け放たれたドアから近所の店主や学校終わりの小学生が店を覗いて 地震大丈夫だった? とマスターに声をかけていきます。
そのマスターに話を聞くとこのお店は今年で70年なのだそうです。
御両親が戦前に野毛で喫茶店を始めたのだそうですが戦災で焼け出され戦後すぐにここに移ってきたのだそうです。
なかなか庶民的というか下町的雰囲気が残っているお店でした。
確かこの辺に遊郭があったですよねーと聞くと
隣の金刀比羅神社の前が遊郭だったんだよと教えてくれました。
さらにここの妓楼富士楼で生まれた桂歌丸さんの家も教えてくれました。
歌丸さんは昨日1日に入院されたようですがお年もお年なのでちょっと気になります。
その
この金刀比羅神社は正しくは金刀比羅大鷲神社と言って
元々は幕末の横浜開港に当たり海運の安全を願うために讃岐の金刀比羅宮を勧請したものです。
そして開港と同時に作られた港崎遊郭の鎮守でもあったことから その後遊郭が点々と場所を変えるごとそれに伴って遷移し 最終地点のこの場所に移ってきたのだそうです。
港崎遊郭が明治4年(1872年)に高島町に移転して高島町遊郭になった時 江戸吉原の例に従って大鷲神社を勧請したのだそうです。
金刀比羅大鷲神社の前の参道は確かに
異様に幅広く中央分離帯もあって 遊郭の名残をとどめている気がします。
今はマンションになっている
このビルの一階に入っている仕出し屋さんもここに遊郭があった時から続くお店なのでしょう。
そのような過去の歴史に思いをはせていたためか 道の中央分離帯にに咲いていた
立葵と薊にお女郎さんの姿を見たように感じました。
お酉さんの頃は、このあたりもとても賑やかになります。
コーヒーマツモトにも、よく行きました。
テレビドラマ「私立探偵濱マイク」で主人公の永瀬正敏が通う喫茶店でもありました。
私が住んでいたころ、歌丸さんは、横浜橋商店街の会長をされていました。
街路樹のある通りをもう少し関内方面に行ったところにある
仕出し屋の建物が遊郭建築でした。
今もあるかどうか。
by cafelamama (2015-06-02 05:16)
cafelamama さん
コーヒーマツモトさんは昔の姿と全く変わっていないようでした。
そんなゆるーい時間の流れが良いですね。
もう昔の建物はほとんど残っていないようです。
みんなマンションになってしまったようです。
by kurakichi (2015-06-02 06:37)
地震大丈夫でした?
ここの神社の前の道ちょこっといったとこの病院にたまにゆくので
そのとき商店街で夕餉のお買い物するですよー(・∀・`)
by ふゆん (2015-06-02 08:24)
鎌倉江ノ電の駅ビルに、横浜橋商店街から出店していた鰻屋さんがありました。その鰻屋さんを探して商店街へ出かけ、八洲という鰻屋を見つけ嬉しくなり買って帰りました。
by SILENT (2015-06-02 09:15)
横浜は完全に大都会化してますが、裏通りにこそ情緒がまだあるんですね。 で・・・お女郎さんの姿を見てお世話になった感想は? 笑
by 旅爺さん (2015-06-02 11:00)
横浜の震度が比較的に高かったのは、埋め立てた土地と関係あるのかな⁈
歌丸師匠、ご容態が心配です(ーー;)
by 風来鶏 (2015-06-02 17:28)
こんばんは。
こんなところにも遊郭があったのですか。
ラストの花が、本文の紹介にぴったりマッチしていますね。
by sig (2015-06-02 23:38)
ふゆん さん
なかなか庶民的で親しみがわく商店街ですね。
by kurakichi (2015-06-04 06:42)
SILENT さん
かなり美味しい鰻屋さんなのでしょうね。
この商店街魚屋さんの割合が多いようでした。
by kurakichi (2015-06-04 06:46)
旅爺さん さん
ええ、中心地からちょっと離れるとまだ昔の姿が残っています。
by kurakichi (2015-06-04 06:48)
風来鶏 さん
ハイ、確かに揺れは大きかったようです。
が、喫茶店マツモトのマスターの話によれば東北大震災の時はこんなもんじゃなかったと話していました。
by kurakichi (2015-06-04 06:50)
sig さん
ハイ、ここにも遊郭があったのですね。
どうも私の街歩きは遊郭の跡地に巡り合うことが多いようです。
by kurakichi (2015-06-04 06:52)