用賀プロムナードⅡ [街並]
いらかみち の標識から先に
瓦(かわら)で作られた親柱がありました。
このプロムナードの敷石もすべて瓦でできているのでこの道が いらかみち と名付けられています。
この親柱の少し先には
小川も流れています。
どうもこれはこの辺りにあった用水を再現したもののようです。
ハッキリとはしていませんが武蔵境辺りで玉川上水から分水した品川用水を拡張する際にその一部がこの辺りにも来ていたようです。
世田谷の川探検隊というHPにある 品川用水略年表 の寛文6年(1669年)の欄には 用賀村二ヶ所 の記述が見られます。
プロムナードは自動車道を越えて
右に続いています。
ここにも
美術館への案内がります。
この先を
左に曲がると 路面に
百人一首が書かれていることに気が付きました。
これは64首目の権中納言貞頼の歌。
この少し先には
66首目の大僧正行尊の もろともに あわれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし がありました。
この先敷石に刻まれた歌は32首を確認することができました。
ここには
鬼瓦がにらみつけるベンチもあります。
振り返ると
世田谷ビジネススクエアがよく見えます。
この先
100首目の順徳院の歌で
環八にぶつかって
いらかみち は終わります。
ちなみにこれを設計したのは象設計集団でHPにも用賀プロムナードが紹介されています。
さて世田谷美術館に行くには環八を渡って砧公園を抜けてゆかなければなりません。
瓦(かわら)で作られた親柱がありました。
このプロムナードの敷石もすべて瓦でできているのでこの道が いらかみち と名付けられています。
この親柱の少し先には
小川も流れています。
どうもこれはこの辺りにあった用水を再現したもののようです。
ハッキリとはしていませんが武蔵境辺りで玉川上水から分水した品川用水を拡張する際にその一部がこの辺りにも来ていたようです。
世田谷の川探検隊というHPにある 品川用水略年表 の寛文6年(1669年)の欄には 用賀村二ヶ所 の記述が見られます。
プロムナードは自動車道を越えて
右に続いています。
ここにも
美術館への案内がります。
この先を
左に曲がると 路面に
百人一首が書かれていることに気が付きました。
これは64首目の権中納言貞頼の歌。
この少し先には
66首目の大僧正行尊の もろともに あわれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし がありました。
この先敷石に刻まれた歌は32首を確認することができました。
ここには
鬼瓦がにらみつけるベンチもあります。
振り返ると
世田谷ビジネススクエアがよく見えます。
この先
100首目の順徳院の歌で
環八にぶつかって
いらかみち は終わります。
ちなみにこれを設計したのは象設計集団でHPにも用賀プロムナードが紹介されています。
さて世田谷美術館に行くには環八を渡って砧公園を抜けてゆかなければなりません。
烏山地域に住んでいるので、いらか道はしばらく歩いていません。
バブル期の遺産でしょうか。
by katakiyo (2015-08-02 05:15)
ここを歩いていたら百人一首覚えられそうです。
by 楽しく生きよう (2015-08-02 08:39)
百人一首は、高一の夏休みの宿題でした。
あさぼらけ・・・、ってあったなぁ。
by ヨッシーパパ (2015-08-02 19:30)
katakiyo さん
烏山地域は意外とここに近いですね。
by kurakichi (2015-08-04 01:13)
楽しく生きよう さん
年を取った私にはとてもとても、、、
by kurakichi (2015-08-04 01:16)
ヨッシーパパ さん
高校一年の時に覚えたならば今でもスラスラ出てくるのでしょうね。
by kurakichi (2015-08-04 01:18)