12日は御薬師様の縁日 [史跡・遺跡・遺構]
武蔵の國の酒祭りでは都合3合ほどの日本酒を飲んで良い気持ちになったのですがこの日もう一ヶ所寄りたい場所があったので
大國魂神社の随神門に向かいました。
随神門の手前を左に折れて境内を出ると
そこは京所道(きょうづみち)と呼ばれる通りになっています。
過去記事の 大國魂神社で里神楽 や 京所道を行くⅠ でもこの道のことは取り上げていますが新たに
説明板があることに気が付きました。
これによると この辺りの集落の昔の呼び名が京所(きょうづ)でそこを通る道なので京所道といいます。
京所とは何かというともともとは経所(きょうじょ)と書き、ここに国府の写経所があったのだそうです。
写経といえば今は心を落ち着かせるためにお寺でするものですが奈良時代は政治の重要な作業でした。
延宝6年(1678年)の検地帳に「きょう女」という記述があり、実際にこの辺りを発掘するとそのあたりの時代の遺構が出てきます。
大國魂神社の東隣に
武蔵の国府として
その発掘跡が保存されています。
この説明板のすぐ脇に
かなり古そうな庚申塔がありました。
とはいっても庚申塔が建立されるのは江戸時代に入ってからのものですがこれは青面金剛や三猿がないもので江戸時代初期のものと思われます。
さてこの京所道の両側には
行灯が飾られています。
この先に
普門寺があって この日9月12日が
御薬師様の縁日なのです。
大國魂神社の随神門に向かいました。
随神門の手前を左に折れて境内を出ると
そこは京所道(きょうづみち)と呼ばれる通りになっています。
過去記事の 大國魂神社で里神楽 や 京所道を行くⅠ でもこの道のことは取り上げていますが新たに
説明板があることに気が付きました。
これによると この辺りの集落の昔の呼び名が京所(きょうづ)でそこを通る道なので京所道といいます。
京所とは何かというともともとは経所(きょうじょ)と書き、ここに国府の写経所があったのだそうです。
写経といえば今は心を落ち着かせるためにお寺でするものですが奈良時代は政治の重要な作業でした。
延宝6年(1678年)の検地帳に「きょう女」という記述があり、実際にこの辺りを発掘するとそのあたりの時代の遺構が出てきます。
大國魂神社の東隣に
武蔵の国府として
その発掘跡が保存されています。
この説明板のすぐ脇に
かなり古そうな庚申塔がありました。
とはいっても庚申塔が建立されるのは江戸時代に入ってからのものですがこれは青面金剛や三猿がないもので江戸時代初期のものと思われます。
さてこの京所道の両側には
行灯が飾られています。
この先に
普門寺があって この日9月12日が
御薬師様の縁日なのです。
三合のお酒で良い気持ち・・・強いですね!
わたしなら歩くのが嫌になるでしょう^^。
by 斗夢 (2015-09-15 04:37)
京所道 旧甲州街道の一本裏手の道ですね。よく仕事で通った道です。懐かしいなぁー。
by こいこい (2015-09-15 13:53)
斗夢 さん
まあ知らず知らずに飲んでしましました。
by kurakichi (2015-09-18 23:25)
こいこい さん
ハイ、人通りがあまりない静かな道です。
by kurakichi (2015-09-18 23:26)