遠藤 新という建築家 [本]
ちょうど図書館から
近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現 という本を借りたばかりで 自由学園を訪れたときはまだ読んでいませんでした。
帰ってから本を開いてみると
遠藤 新氏について書かれているではありませんか。
彼は1889年(明治22年)福島県の農家の次男として生まれています。
とにかく成績優秀で仙台の第二高等学校(現東北大学)へは成績1位で入学しています。
建築を志望した彼は東京帝国大学に再び成績1位で入学しています。
その当時は建築もまだ明治期のジョサイヤコンドルの影響が強く西洋偏重主義であったため遠藤は深く失望したのだそうです。
その時見つけたのがYMCAの社会活動であり、出会ったのが『婦人之友』を出版していた羽仁もと子吉一夫妻でした。
やがて帝国ホテル支配人の林 愛作が新ホテルの設計を F.L.ライト に依頼した時日本人スタッフとして遠藤 新を推薦しました。
遠藤は1年8か月間アメリカのタリアセンのライトの事務所で働き、新ホテル建設に当たってはライトが帰国してからは
遠藤が全責任を負って完成させています。
ちょうどライトが帝国ホテルの建設で来日していた時 羽仁夫妻が自由学園を建てようとしており旧知の遠藤がライトを紹介し設計をすることになりました。
開校まで3ヶ月しかなく実際授業と建築工事が並行して行われ
後で明日館と名付けられた校舎が完成しています。
ライトが帰国してからは帝国ホテルと同様に遠藤が全てを設計しています。
これで昨日の記事のモヤモヤが一挙に解決しました。
当然 婦人之友社のビルの設計は F.L.ライトの愛弟子 遠藤 新氏以外考えられません。
近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現 という本を借りたばかりで 自由学園を訪れたときはまだ読んでいませんでした。
帰ってから本を開いてみると
遠藤 新氏について書かれているではありませんか。
彼は1889年(明治22年)福島県の農家の次男として生まれています。
とにかく成績優秀で仙台の第二高等学校(現東北大学)へは成績1位で入学しています。
建築を志望した彼は東京帝国大学に再び成績1位で入学しています。
その当時は建築もまだ明治期のジョサイヤコンドルの影響が強く西洋偏重主義であったため遠藤は深く失望したのだそうです。
その時見つけたのがYMCAの社会活動であり、出会ったのが『婦人之友』を出版していた羽仁もと子吉一夫妻でした。
やがて帝国ホテル支配人の林 愛作が新ホテルの設計を F.L.ライト に依頼した時日本人スタッフとして遠藤 新を推薦しました。
遠藤は1年8か月間アメリカのタリアセンのライトの事務所で働き、新ホテル建設に当たってはライトが帰国してからは
遠藤が全責任を負って完成させています。
ちょうどライトが帝国ホテルの建設で来日していた時 羽仁夫妻が自由学園を建てようとしており旧知の遠藤がライトを紹介し設計をすることになりました。
開校まで3ヶ月しかなく実際授業と建築工事が並行して行われ
後で明日館と名付けられた校舎が完成しています。
ライトが帰国してからは帝国ホテルと同様に遠藤が全てを設計しています。
これで昨日の記事のモヤモヤが一挙に解決しました。
当然 婦人之友社のビルの設計は F.L.ライトの愛弟子 遠藤 新氏以外考えられません。
謎が解けましたね(*^^*)
by 風来鶏 (2015-10-01 17:46)
気難しいライトが心を許した唯一の日本人建築家で、ライト以上にライト的な設計をする、と言われています。関西にいるうちに、彼が手がけた甲子園ホテルを見に行きたいと思っています。
by opas10 (2015-10-04 23:39)
風来鶏 さん
はい、謎が解けました。
by kurakichi (2015-10-06 22:26)
opas10 さん
甲子園ホテル私も見てみたいです。
by kurakichi (2015-10-06 22:28)