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合羽橋のその昔は  [街並]

合羽橋といえば道具街、主に料理店の備品を販売するお店が目立っていますが
 
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脇道を入るとそこには なんとか製作所とかいった会社があって お店の設計から施工まで請け負う職人さんがいます。
単に物販だけでなくお店を作ることに何から何までお願いできる懐の深~い地域なのです。

このような街
 
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合羽橋なのですが江戸時代はどうであったかというと
ちょうどかっぱ河太郎の金色の像の脇に
 
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昔の切絵図がありました。
これによると昔からお寺が多かったことが分かります。
また
 
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塩見鮮一郎氏の 弾左衛門とその時代 の36ページの地図によると
 
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ここは浅草溜とよばれ非人を束ねていた車善七の家もあったことになっています。
被差別民は大きく分けて弾左衛門が束ねる穢多と善七が束ねる非人があってここには主に
 
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乞胸と呼ばれる辻芸人が住んでいたようです。
乞胸には虚無僧や猿回し、鳥追い、獅子舞、物乞いなども含まれます。
残念ながら上の切絵図ではそれらしき名称は確認されなかったのですが クロクワ という言葉がそれらしき感じがしています。

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