伊東忠太と築地本願寺 [神社仏閣教会]
築地本願寺本堂内の伊東忠太先生のパネル展示では
明治35年(1902年)から3年3か月をかけて中国、インド、中東、ヨーロッパと世界の建築を中心にその文化的背景の研究に行ったことも紹介されています。
その旅の結果が
この築地本願寺の設計にも生かされています。
忠太先生のノートも紹介されていてその研究旅行の時に書かれたスケッチも紹介されています。
ちなみに右上には明治26年(1893年)に書かれた忠太先生の 法隆寺建築論 も出ています。
忠太先生は岡倉天心から啓発され廃仏毀釈であれてしまった奈良の仏教建築を調査修復を行っています。
一方本願寺の大谷光瑞氏は
明治35年(1902年)にいわゆる大谷探検隊を組織して仏教が伝わってきたルートのインド、中国の調査を行っています。
この時忠太先生とは直接会っていないのですが大谷隊の支隊が会っていて後に築地本願寺の設計を依頼することになりました。
忠太先生のノートの左上のスケッチは
本堂入口の柱の装飾に活かされています。
表の獅子も
柱の獅子も忠太先生の想像上の動物ですがこれも研究旅行から生まれてきたものでしょう。
また本堂前の階段室の以前にも紹介した三畜評樹も忠太先生の愛らしい動物たちですが
それは
鳥、
猿、
像です。
三畜評樹以外の動物
牛、
獅子、
馬もとても素敵で魅力的で何回も紹介したくなります。
明治35年(1902年)から3年3か月をかけて中国、インド、中東、ヨーロッパと世界の建築を中心にその文化的背景の研究に行ったことも紹介されています。
その旅の結果が
この築地本願寺の設計にも生かされています。
忠太先生のノートも紹介されていてその研究旅行の時に書かれたスケッチも紹介されています。
ちなみに右上には明治26年(1893年)に書かれた忠太先生の 法隆寺建築論 も出ています。
忠太先生は岡倉天心から啓発され廃仏毀釈であれてしまった奈良の仏教建築を調査修復を行っています。
一方本願寺の大谷光瑞氏は
明治35年(1902年)にいわゆる大谷探検隊を組織して仏教が伝わってきたルートのインド、中国の調査を行っています。
この時忠太先生とは直接会っていないのですが大谷隊の支隊が会っていて後に築地本願寺の設計を依頼することになりました。
忠太先生のノートの左上のスケッチは
本堂入口の柱の装飾に活かされています。
表の獅子も
柱の獅子も忠太先生の想像上の動物ですがこれも研究旅行から生まれてきたものでしょう。
また本堂前の階段室の以前にも紹介した三畜評樹も忠太先生の愛らしい動物たちですが
それは
鳥、
猿、
像です。
三畜評樹以外の動物
牛、
獅子、
馬もとても素敵で魅力的で何回も紹介したくなります。
鳥は「鶏」に見えますが、「孔雀」のようですね(^^;;
by 風来鶏 (2015-11-05 11:37)
子供の頃から変わらない築地本願寺ですが
何も知りません。
興味を持ってみると色々なものが見えてきて楽しいでしょうね。
次に行く機会がありましたら、ちゃんと見てみたいです
by majyo (2015-11-05 16:05)
風来鶏 さん
忠太先生の頭の中の動物です。
鶏でも孔雀でも良いです。
by kurakichi (2015-11-08 00:38)
majyo さん
一度いらしてみては?
by kurakichi (2015-11-08 00:39)
寺らしからぬ築地本願寺ですが、まるで美術館のようですね。
by DANKAI_Gen (2015-11-10 09:52)
DANKAI_Gen さん
ハイ、寺らしからぬ建物でそこが良いですね。
by kurakichi (2015-11-11 01:28)