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吉祥寺のヤミ市は  [街並]

昨日の記事で紹介した 盛り場はヤミ市から生まれた にはかなりのページ数を割いて
 
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吉祥寺のヤミ市の成り立ちからその変遷について書かれています。
この右ページに写っているのは手塚さんのハモニカキッチンですがこのお店は今は
 
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一階に全面的に焼き鳥の てっちゃん になっています。
もちろんこのお店も手塚さんの経営で彼は機を見るに敏というか素早く大胆にお店を変えます。

このハモニカ横丁と呼ばれる一帯が戦後のヤミ市、マーケットだったのです。
まずその成り立ちです。
吉祥寺には吉祥寺というお寺はありません。
江戸時代の明暦の大火で本郷元町にあったお寺の吉祥寺は駒込に移転し、その門前に住んでいた人は強制的に五日市街道沿いのこの地に移住させられました。
そしてこの地を吉祥寺村と名付けたということです。
三鷹市の連雀町と同じような歴史を持っています。
ですからもともと村の中心は五日市街道沿いにあって その後鉄道が敷かれ吉祥寺駅ができると駅までの道沿いに商店が立ち並ぶようになりました。
その道が今のサンロードです。
が、太平洋戦争が激しくなると駅は空襲の標的になるためといって駅周辺の店舗は強制疎開させられ駅の周りは建物が無くなっていました。
そこで敗戦です。
人々はこぞって空地になっていた駅前にお店を作ったわけですが 誰かしらその場所を仕切る人がいるわけで それがいろいろな事件の原因でもあったわけです。
吉祥寺の場合 駅周辺の土地はすべて月窓寺のものだったことと仕切り屋のテキヤとも縁日などでそもそも連絡が良かったことなどで他のヤミ市よりは争い事が少なかったようです。
そして
 
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これは1953年当時の町割りですが今も変わっていません。
建物も
 
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木造2階建ての姿を残しています。

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斗夢

町に歴史あり、ですね!
by 斗夢 (2016-01-12 04:50) 

kurakichi

斗夢 さん

はい、しかし街の形が変わって行くことでその記憶が薄まって行きます。
そんな形跡を写真に撮って行きたいと思っています。

by kurakichi (2016-01-12 14:45) 

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