箱根のお山に登ってみた 2 [散歩の途中で]
都立戸山公園は 江戸時代は
戸山荘 と呼ばれた尾州徳川家の下屋敷で 敷地は約448,800㎡もあり この箱根山はその時に造られた築山で 脇には小田原の町並みも再現されていたらしいのです。
その後 陸軍戸山学校になって Cinchiko Papaさんのブログによると なにやらきな臭い場所だったらしいのですが 戦後はその一部が今の戸山公園になって 今は
少年野球が盛んに行われる場所になっています。
深山幽谷とまではいかないのですが
かなり起伏のあるところで これもChinchiko Papaさんのブログで知ったことなのですが もともとはここにあった円墳を利用して造園されたものなのだそうです。
さて
最後の急な階段を上りきると
頂上です。
そこには
標高44.6mと書かれた石版がありました。
ここは都内ではかなり高い所のようで 以前タモリ倶楽部で 人工衛星の電波をキャッチする番組に使われていました。
お早うございます。
少年野球のヘルメットと鞄、きちんと並んでいるのが印象的でした。
いい指導者がいらっしゃる。
by 夏炉冬扇 (2009-10-26 05:52)
夏炉冬扇 さん
右の木陰で少年達は反省会をやっていました。
負けるのも勉強です。
by kurakichi (2009-10-26 08:45)
その「タモリ倶楽部」 真夏の炎天下での撮影だったらしく
タモリ氏が 「暑くて冗談を言う気にもならない」 と
言ってたのがおしかったでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2009-10-26 12:19)
ぼんぼちぼちぼち さん
もちろん山頂には日陰なないので かなりきつい撮影だったのでしょう。
それにしても あんな狭いところでよく撮影したと思います。
by kurakichi (2009-10-26 13:23)
こんにちは。
箱根山のもともと円墳がふたつあって・・・というのは、周囲の古墳密集状況を踏まえた、あくまでもわたしの仮説です。記録では、尾張徳川邸の下屋敷庭に池を掘ったあとの土砂を積み上げて、築山を設けたことになっているのですが、それにしては土砂の量が膨大で、しかも戦後焼け跡の空中写真には、半球状のサークルがベースに2つ重なっているようにも見えますので、もともと塚が2つあった上に池を掘った土砂をかぶせているのではないか・・・と想定しました。
実際に発掘調査が行われたことはありませんので、箱根山のベースとなっているらしい2つのサークルがなんなのか、よくわからないのが現状です。^^
by ChinchikoPapa (2009-10-26 18:30)
ChinchikoPapa さん
コメントありがとうございます。
航空写真から痕跡を調べたり そのほか 様々な資料を駆使して書かれる貴兄のブログに いつも驚き楽しく読ませていただいています。
by kurakichi (2009-10-26 19:22)
こんばんは。
江戸時代から、この場所があったんですね。
今は野球練習所になってるんですか。
by 華蓮 (2009-10-26 19:59)
華蓮 さん
何しろ徳川さんのお屋敷でしたから広いこと広いこと。
ビックリしてしまいました。
by kurakichi (2009-10-26 20:26)
こんばんは。
このあたりは私が始めて東京に出てきたころは、戸山が原と呼ばれていたような・・・。コンクリートの公営住宅が何棟も建っていたような・・・。
by sig (2009-10-26 21:03)
sig さん
巨大都営住宅のモデルとして最初に作られた場所のようです。
大江戸線の駅も近くにできて 住環境としては最高のような気がします。
by kurakichi (2009-10-26 21:09)