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戦火にあった銀杏の木  [同期・同窓]

母校の小学校の創立100周年記念行事の続きです。
 
午前の行事が終わり
 
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5、6年生は下校し 午後は保護者と同窓生を対象に
 
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ある文化人の講演会が開かれました。

その文化人と言うのはこの小学校の前身が都内にあったときの卒業生なのですが 肖像権とか著作権などの問題もありそうなので 講演会の題名もあえて伏せて
 
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写真も後姿でご勘弁を。

実はこの方が在学中は日本は太平洋戦争の真っ只中で 彼も山形に疎開をしていました。
そのときの経験談を中心に 当たり前の暮らしとはどういったものかと言った講演内容でした。


校庭の隅に
 
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一本の銀杏の樹が植えられています。

この銀杏の樹は実はこの小学校がまだ都内にあった頃 昭和20年4月13日の空襲に遭って 大部分が焼けてしまったのですが 校舎はこの銀杏に守られ焼けずに済んだのだそうです。
しかし黒焦げになったこの樹も芯までは焼けていなく 翌年には新しく芽を出しました。
その姿が戦争から立ち直ろうとする人たちの心の支えになったのだそうです。
そしてこの銀杏の
 
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歌も作られ 生徒達に親しまれてきたのです。
そして昭和38年にこの場所にやってきたのです。
 
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今は昔の傷もだいぶ小さくなっています。

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この銀杏がまだ黒焦げだった頃卒業した先輩方もこの樹と再会し
 
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記念撮影です。

自分達が子どもだった頃の思い出がたどれる何かが学校に残っていることは素晴らしいことなのです。

タグ:小学校
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コメント 9

majoramu

生き残った銀杏、いいお話を聞かせていただきました。
by majoramu (2009-12-06 15:49) 

空兵ーS

いいお話ですね。
スペースがあれば
在校生にも効いて欲しかった内容です。
by 空兵ーS (2009-12-06 19:13) 

kurakichi

majoramu さん
空兵ーS さん

戦争とその後の記憶がこのような形で残っています。
もちろん在校生にもこの話は良く知られています。
数日後に生徒達だけの記念式典にも出席したのですが そのとき生徒達によるこの銀杏の樹の話の寸劇を私も見ました。

by kurakichi (2009-12-06 22:19) 

華蓮

こんばんは。
この銀杏の樹は凄いですね。
強い木なんですね!この銀杏の樹もこんなに
大事にされていたら嬉しいですね。
by 華蓮 (2009-12-06 22:48) 

kurakichi

華蓮 さん

歌の歌詞にもあるように 生徒達のいろいろな気持を受け止めて 今も校庭で優しく見守ってくれているのです。

by kurakichi (2009-12-06 23:00) 

夏炉冬扇

こんばんは。
大事にしたいものです。
by 夏炉冬扇 (2009-12-07 18:23) 

tokk

一人一人の年輪を大切にし、互いに思いやる心の余裕が大切なんでしょうか。

by tokk (2009-12-07 19:18) 

kurakichi

夏炉冬扇 さん

特にこの樹のように多くの人のそれも特別な思い出のあるものは末永く残したいと思います。

by kurakichi (2009-12-07 19:37) 

kurakichi

tokk さん

心の余裕 大事なことだと思います。

by kurakichi (2009-12-07 19:38) 

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