内藤新宿とは? [散歩の途中で]
昔の新宿の話の中で時々 内藤新宿と言う言葉を聞くことがあります。
新宿御苑の東側の新宿区内藤町という町名に今もその名残を伺うことができます。
内藤新宿の名の起こりはwikipediaの内藤新宿に詳しく書かれています。
要はここに徳川家の家臣の内藤家の中屋敷があったことに由来しています。
そしてここ内藤町には その内藤家の氏神を祀る
多武峯内藤神社があります。
多武峯内藤神社は内藤家の祖先である藤原鎌足を祀ったもので 奈良の多武峯にある今は談山神社と呼ばれている神社から分祠したものなのです。
奈良の談山神社にはずいぶん前に修学旅行で行っただけですが なにやらお寺のような変わった神社だったと記憶しています。
それもそのはずで もともとはお寺として建てられ時代を経て神仏混交となり 明治の廃仏毀釈で今の談山神社になったのだそうです。
武士の氏神様だからなのでしょうか ここの注連縄は
横一文字にキリリとしています。
が 狛犬は
ユーモラスな顔をしています。
そして その狛犬の背中に
小さな蟷螂を見つけました。
新宿御苑の東側の新宿区内藤町という町名に今もその名残を伺うことができます。
内藤新宿の名の起こりはwikipediaの内藤新宿に詳しく書かれています。
要はここに徳川家の家臣の内藤家の中屋敷があったことに由来しています。
そしてここ内藤町には その内藤家の氏神を祀る
多武峯内藤神社があります。
多武峯内藤神社は内藤家の祖先である藤原鎌足を祀ったもので 奈良の多武峯にある今は談山神社と呼ばれている神社から分祠したものなのです。
奈良の談山神社にはずいぶん前に修学旅行で行っただけですが なにやらお寺のような変わった神社だったと記憶しています。
それもそのはずで もともとはお寺として建てられ時代を経て神仏混交となり 明治の廃仏毀釈で今の談山神社になったのだそうです。
武士の氏神様だからなのでしょうか ここの注連縄は
横一文字にキリリとしています。
が 狛犬は
ユーモラスな顔をしています。
そして その狛犬の背中に
小さな蟷螂を見つけました。
WIKIの模型と、地図がなかなか合わない。古地図がほしくなるわぁ・・・。
by はなこ (2010-06-27 00:57)
はなこ さん
おたまじゃくしというHPに略図
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/sinnzyukusamayoi/naitousinnzyukuzu.htm
があります。
この略図に重ねてみてはどうでしょうか。
by kurakichi (2010-06-27 01:18)
右側の狛犬は、大きな口を開けて笑っているように見えます。
この多武峯内藤神社のように、元々はお寺として建てられ、その後神社になるようなケースは他にもあるのでしょうか。
by hirochiki (2010-06-27 05:21)
内藤町にほど近い「新宿1丁目」に小学6年〜大学1年まで住んでいました。
by mouse1948 (2010-06-27 07:46)
hirochiki さん
私の書き方があまり良くなかったようで誤解が一つあります。
多武峯内藤神社は初めから神社であってお寺ではありませんでした。
お寺のような神社は談山神社の方で ここにはもともと藤原鎌足の墓所であったものが後に鎌足を神格化し神としても祀られるようになったものです。
日本人の民間信仰においても中世までは神も仏もあまり区別せず信仰の対象にしてきました。
今でも神社とお寺が並んでいるところが多くあることでそのことが分ります。
しかし明治維新のときに天皇制を強力に推し進めるために出された神仏分離令をきっかけに廃仏毀釈が起こります。
談山神社もそのとき寺であることをやめて神社一つになりましたが幸いにして多くの仏堂伽藍は壊されることなく残ったのです。
廃仏毀釈で多くのお寺が壊されなくなってしまったのですが神社の境内やその近くに一緒に建っていたお寺の痕跡を認められるところはまだ多くあります。
by kurakichi (2010-06-27 08:43)
mouse1948 さん
ご退院おめでとうございます。
このあたりはmouse1948さんの遊び場だったのですね。
by kurakichi (2010-06-27 09:11)
こんにちは。
奈良の談山神社は遠足などで何度も行きました。
秋の紅葉がとてもきれいですよ。
こんなところにも縁のある神社があるのですね。
by hayama55 (2010-06-27 12:29)
hayama55 さん
多武峯神社はあまり数が無いようです。
この近くでは埼玉県にあるくらいでしょうか。
by kurakichi (2010-06-27 13:31)
その当時としては”こうすべきだ”、と謂う
考えがあって行った事でしょうが、廃仏毀釈
って随分と無体な事もしてしまったよなぁ、
と感じる処が多いです。
by MIKE (2010-06-27 17:57)
MIKE さん
人間の歴史は愚かなことの繰り返しなのですね。
反省、反省と言うことですね。
by kurakichi (2010-06-27 19:54)
こんばんは。
面白い注連縄です。
畑にもカマキリの子どもいました。
梅雨の盛りです。
by 夏炉冬扇 (2010-06-27 20:58)
夏炉冬扇 さん
注連縄も神社によって大分違うようですね。
多武峯内藤神社のものも変わっていますが ぶっとい出雲大社の注連縄は印象に残っています。
by kurakichi (2010-06-27 21:19)
可愛い狛犬ですね、でもちゃんと阿吽のお口を
していますね(*´ー`)
by aya (2010-06-27 21:41)
aya さん
そうなんです。
あまりにもおもいっきりの阿吽なので 笑ってしまいました。
by kurakichi (2010-06-27 21:59)
大変丁寧な説明をしていただき、ありがとうございました。
by hirochiki (2010-06-28 05:19)
池波正太郎の鬼平犯科帳によく内藤新宿が出てきていたような気がします。
江戸時代の頃は、その辺はまだ郊外であまり柄も良くなかったみたいですね。
by 空兵 (2010-06-29 20:56)
hirochiki さん
なんのなんの
by kurakichi (2010-06-30 00:16)
空兵 さん
柄の悪さは宿場町の宿命なのでしょう。
その伝統は歌舞伎町あたりに今でも残っているようです。
by kurakichi (2010-06-30 00:33)