土手道は今もあった [散歩の途中で]
国分寺駅は武蔵野台地を開削して造られていますので 昨日の記事の殿ヶ谷戸立体付近が土手になっているのですが 国分寺駅の西側も
線路の両側は高い土手になっています。
そこにはその両側の土手をつなぐ
花沢橋があります。
そしてこの花沢橋の西側に現役の土手道があります。
写真の左の舗装されている道はこの一画の住居のために造られたコの字型の道路で
その途中にある
頭が赤く塗られて工の字が彫られた石杭から右側に今も現役の土手道があります。
杭の存在でここがJRの持ちもであることがわかり つまり市の管理ではないので舗装がされていません。
途中の生垣に埋もれている
昔からあった柵は木製の枕木で作られていました。
この道は
50mほど続き 最終地点には
何か標識でも付けられていたのでしょうか 金属が打ち付けられた枕木が門柱のように立っていました。
線路の両側は高い土手になっています。
そこにはその両側の土手をつなぐ
花沢橋があります。
そしてこの花沢橋の西側に現役の土手道があります。
写真の左の舗装されている道はこの一画の住居のために造られたコの字型の道路で
その途中にある
頭が赤く塗られて工の字が彫られた石杭から右側に今も現役の土手道があります。
杭の存在でここがJRの持ちもであることがわかり つまり市の管理ではないので舗装がされていません。
途中の生垣に埋もれている
昔からあった柵は木製の枕木で作られていました。
この道は
50mほど続き 最終地点には
何か標識でも付けられていたのでしょうか 金属が打ち付けられた枕木が門柱のように立っていました。
離れ小島の西恋ケ窪に行くには線路の北側の土手を伝って歩いて行きました。
by みっち (2011-06-12 10:49)
すごい遺構を見つけましたね。地元への愛着のなせる技ですね。
by sig (2011-06-12 16:06)
「私有地に付き、立ち入り禁止」などの標識でしょうかね?!
by 風来鶏 (2011-06-12 17:00)
赤く塗られた石杭、ちょっとおどろおどろしい感じがしたのは私だけでしょうか?
古い杭とかって何かしら歴史がありそうですね。
by prismiclyon (2011-06-12 18:42)
線路の向こう側は、日立の中央研究所でしょうか
このあたりは、谷や湧水が多いですけど、殿ヶ谷戸庭園や滄浪泉園や中央研究所の庭園は、そんな地形を上手に使って、とっても魅力的な風景にしてますね。
by aoken (2011-06-12 20:08)
うーん、フェンスがなければ素敵な撮影ポイントなんだけどなあ。
ここから電車を眺めていたいです。
by ナツパパ (2011-06-12 20:39)
みっち さん
昔は駅周辺が絶対的な繁華街ではなかったですね。
ある意味その当時の駅の方が辺境だったのかもしれませんね。
by kurakichi (2011-06-12 21:54)
sig さん
あまり歩いていない場所だったのでかえって気付いたのかもしれません。
by kurakichi (2011-06-12 22:02)
風来鶏 さん
国鉄としてはそう言いたかったでしょうね。
by kurakichi (2011-06-12 22:03)
prismiclyon さん
国鉄時代からの伝統なのでしょうか ぞんざいなペンキの塗り方は変わらないですね。
by kurakichi (2011-06-12 22:05)
aoken さん
ハイ 日立の中研です。
年に二回中に入ることが出来、私も一度入ったことがありますがなかなか良い場所ですね。
by kurakichi (2011-06-12 22:10)
ナツパパ さん
私は小さい頃貨物列車を見るのが好きでした。
今はコンテナか石油タンク車ぐらいですが 豚や牛を乗せた無蓋車、最後尾の郵便車が懐かしいです。
by kurakichi (2011-06-12 22:17)
この謎の枕木門柱の前のちょっと先に、今はマンションと化した「花沢湯」があり学生の頃かよっていました。その後近くに6年ほど住み着きました。その頃は金網フェンスに、ペラペラと開閉する扉が付いていた跡が有り、枕木門柱には「開けたら閉めてください」的な札の跡があったような記憶が有ります。
by octopus baker (2011-06-13 13:50)
octopus baker さん
はー あそこには門があったのですか。
貴重なお話ありがとうございます。
by kurakichi (2011-06-13 22:35)