武蔵国衙跡 [史跡・遺跡・遺構]
一昨日の記事の京所道(きょうつみち)から
大國魂神社の東端に沿って北に向う道は
細馬(ほそま)と呼ばれていた道で 奈良時代朝廷に貢ぐ馬を試走させた場所なのだそうです。
この道のすぐ脇には
遺跡の復元が展示されています。
(道路の路面にも柱跡がわかるようになっています)
屋外展示の赤い丸太は途中で切られていますが ここに立っていた建物の柱を示しています。
この施設の北端には建物があって その屋内展示には
実際の発掘調査についての
説明があります。
ここの建物は国衙(こくが)というもので
奈良時代 国の行政を実際におこなっていた役所群なのだそうです。
建物のイメージ図も展示されていました。
大國魂神社の東端に沿って北に向う道は
細馬(ほそま)と呼ばれていた道で 奈良時代朝廷に貢ぐ馬を試走させた場所なのだそうです。
この道のすぐ脇には
遺跡の復元が展示されています。
(道路の路面にも柱跡がわかるようになっています)
屋外展示の赤い丸太は途中で切られていますが ここに立っていた建物の柱を示しています。
この施設の北端には建物があって その屋内展示には
実際の発掘調査についての
説明があります。
ここの建物は国衙(こくが)というもので
奈良時代 国の行政を実際におこなっていた役所群なのだそうです。
建物のイメージ図も展示されていました。
府中という地名は、武蔵国の中心だったから付いたのでしょうか?
by aoken (2011-07-27 07:23)
府中の近くに住んでいた時
大國魂神社にも参拝に行きましたが
こういった遺跡の存在は不覚にも知りませんでした。
古代から栄えていた土地だったんですね!
神社もその頃からの縁なのでしょうか。
by Cazz (2011-07-27 10:24)
暑中お見舞い申し上げます
暑い折り、熱射病や脱水症状に気をつけてこの夏を・・・
訪問 nice!有難う御座います、
by okin-02 (2011-07-27 13:44)
武蔵国衙跡 ってずいぶん昔の 事だろうと推測しましたが、なるほど・・・奈良時代に設けられたんですね。 戎に対する防衛の拠点が、この武蔵野にまで張り出していたとは・・・・
by 般若坊 (2011-07-27 17:34)
aoken さん
府中という地名は今でも各地に存在します。
奈良・平安時代の律令社会でその地方を治める国府が置かれた場所を府中といいました。
ここは武蔵府中でその支配地域は今の埼玉県、東京都、神奈川県の川崎市と横浜市の一部の範囲でした。
by kurakichi (2011-07-27 21:24)
Cazz さん
府中市は土地を掘り返すと必ず何かが出てくるほど遺跡の多いところです。
今年は大國魂神社の1900年紀にあたります。
by kurakichi (2011-07-27 21:33)
okin-02 さん
こちらこそいつもご訪問ありがとうございます。
また暑い日が戻ってきました。
お身体ご自愛ください。
by kurakichi (2011-07-27 21:35)
般若坊 さん
戎=蝦夷ということであれば その北限は今回震災の被害にあった多賀城でしょうか。
関東よりもまだ先に防衛拠点がありました。
by kurakichi (2011-07-27 21:41)
かつては京王線沿線住民だったにもかかわらず、府中が奈良時代に武蔵国の重要拠点だったとは、不覚にも今回初めて知りました!
by opas10 (2011-07-30 11:04)
opas10 さん
大國魂神社が出来て1900年といわれています。
かなりの歴史ですね。
by kurakichi (2011-07-30 21:23)