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台町の浅間神社  [神社仏閣教会]

尾根道の交差点を渡ると そこには
 
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富士森公園内にある浅間神社がありました。

拝殿の脇の手書きの看板には
 
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連絡先として八幡八雲神社の社務所の名があり、この日午後に訪れた元横山町の八幡八雲神社がこの浅間神社を管理しているようです。
またこの看板にはこの浅間神社の由来が書かれています。

家康から八王子を所領として与えられた関東総代官の大久保石見守長安が慶長年間(1596~1615年)の江戸期に入ってから(慶長8年以降)駿河国浅間神社を分霊、勧請したことが起源とされています。
その時高さ二丈、周囲六十間の塚を作り その頂上に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)をお祀りしたのだそうです。
その高さ6mほどの塚は
 
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拝殿のすぐ後ろにあり、
 
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天明6年(1786年)に作られた石段で上ることが出来ます。
その頂には祠の中に
 
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石造りの小さな社殿があって その裏には
 
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延享二年(1745年)二月吉日の文字が刻まれていました。
この社殿は宝永年間(1704~1711年)に破壊されたものを再建したものなのです。
この社殿の中に木花咲耶姫が祀られていましたが
 
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首がかけ落ちたらしくセメントで不細工に修復されています。
木花咲耶姫はたいそう美しかったと書かれていましたが、、、
足を組んだお姿も、、、
申し訳ありませんが うーん何か違うな~という印象です。

ところで本殿の前にある拝殿はWeb八王子事典によると 大正天皇の葬儀に使われた祭場殿が下賜されたものを昭和28年(1953年)にここに拝殿として移築したものなのだそうです。
 
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浅間神社と書かれた額と賽銭箱に昭和二十八年の文字が見られます。

私はもう20年ほど前だったと思いますがこの神社で行われている骨董市に来たことがあります。
 
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毎月第二土曜日開催と書かれた捨て看板がありましたが 東京の骨董市一覧リスト には名前がありませんでした。
はたしてに行われているのでしょうか?

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コメント 8

夢旅人

う~ん、そうだね。 美人さんかよって云いたいですね~。
時代を感じる石像、美人さんには似つかない修理の跡ですね。
この様な少し淋しい神社の雰囲気って、好きです。
by 夢旅人 (2011-10-22 14:43) 

ナツパパ

あ、富士塚がありますね。
立派な造り、そして整った形で、良い富士塚ですね。
ここは訪れてみたいです。
by ナツパパ (2011-10-22 16:37) 

kurakichi

夢旅人 さん

火炎があれば印象としては 不動明王 でした。

by kurakichi (2011-10-22 20:29) 

kurakichi

ナツパパ さん

それほど後の手が加えていないところが良かったです。

by kurakichi (2011-10-22 20:31) 

sig

こんにちは。
木花咲耶姫、ちょっと引きました。笑
by sig (2011-10-23 13:21) 

kurakichi

sig さん

私も引きました。

by kurakichi (2011-10-23 14:12) 

urara☆

セメントで不細工に修復された?木花咲耶姫は、そのままで置いてあること自体が、あまりにも酷いと思いました!
お顔がイメージと全く違うにしても、もっとマシに見える修復方法があったはずなのに^^;
by urara☆ (2011-10-26 14:24) 

kurakichi

urara☆ さん

もっと丁寧に補修してほしいですね。

by kurakichi (2011-10-27 09:56) 

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