中央線がなかった時代 [街並]
私がこのところ東京人を買い続けている理由の一つは4月号から始まった 中央線がなかった時代 という連載がとても面白いからなのです。
中央線は明治時代に新宿から立川までほぼ東西に一直線に敷かれました。
本来は甲州街道に沿って敷きたかったと思われますが 街道沿いにはすでに多くの人が住み土地代も高く、多くの反対もあったといわれています。
そこであまり人が住んでいなかった今の場所に中央線が敷かれたというわけなのです。
人がほとんどいない土地に新しい駅ができ そこに新しい町ができると
これは計画的に街づくりがなされた典型の国立駅前の地図ですが
道は東西に一本ずつある放射道路のほかは中央線に平行か直角に造られています。
しかし中央線の上りに乗って三鷹を過ぎ 高架を走る電車から北側を眺めると そこに見える道は直角ではなく
少し東側に傾いています。
実はこの傾きはこの道の先にある五日市街道にほぼ直角になっているのです。
この町割ができたのは江戸時代の明暦の大火の後に本郷にあった諏訪山吉祥寺の門前に住む人たちがここに移ってきたときなのです。
注意深く町を見てみると中央線ができる前の町並みが見えてくるということが この東京人の連載に書かれているのです。
東京人5月号の中央線がなかった時代は
妙法寺、熊野神社、大宮八幡に通じる動線を行く でした。
中央線ができる前 新宿から西への移動は甲州街道と青梅街道で、青梅街道を行くと堀ノ内のお祖師さんと呼ばれている妙法寺があって そこには多くの江戸の人々が訪れています。
ちょうどこの5月号が出たころ 私も95歳で他界した伯母の七七日法要で妙法寺のすぐ隣にある福相寺に行きました。
両親を車に乗せ連雀通りから久我山街道に入って、方南町で環七に出て
福相寺に行きました。
通った道はほとんど昔からある旧道です。
私の家は江戸時代から東大久保で盆栽屋をやっていて そこで生まれた伯母は近くにあった材木商に嫁ぎました。
東大久保からこの堀ノ内にある福相寺までは直線距離にして5kmほどで少し距離がありますがここが菩提寺であることもうなずけます。
山門の
彫刻にも時代を感じます。
境内に入ると
名残の八重桜が咲いていました。
中央線は明治時代に新宿から立川までほぼ東西に一直線に敷かれました。
本来は甲州街道に沿って敷きたかったと思われますが 街道沿いにはすでに多くの人が住み土地代も高く、多くの反対もあったといわれています。
そこであまり人が住んでいなかった今の場所に中央線が敷かれたというわけなのです。
人がほとんどいない土地に新しい駅ができ そこに新しい町ができると
これは計画的に街づくりがなされた典型の国立駅前の地図ですが
道は東西に一本ずつある放射道路のほかは中央線に平行か直角に造られています。
しかし中央線の上りに乗って三鷹を過ぎ 高架を走る電車から北側を眺めると そこに見える道は直角ではなく
少し東側に傾いています。
実はこの傾きはこの道の先にある五日市街道にほぼ直角になっているのです。
この町割ができたのは江戸時代の明暦の大火の後に本郷にあった諏訪山吉祥寺の門前に住む人たちがここに移ってきたときなのです。
注意深く町を見てみると中央線ができる前の町並みが見えてくるということが この東京人の連載に書かれているのです。
東京人5月号の中央線がなかった時代は
妙法寺、熊野神社、大宮八幡に通じる動線を行く でした。
中央線ができる前 新宿から西への移動は甲州街道と青梅街道で、青梅街道を行くと堀ノ内のお祖師さんと呼ばれている妙法寺があって そこには多くの江戸の人々が訪れています。
ちょうどこの5月号が出たころ 私も95歳で他界した伯母の七七日法要で妙法寺のすぐ隣にある福相寺に行きました。
両親を車に乗せ連雀通りから久我山街道に入って、方南町で環七に出て
福相寺に行きました。
通った道はほとんど昔からある旧道です。
私の家は江戸時代から東大久保で盆栽屋をやっていて そこで生まれた伯母は近くにあった材木商に嫁ぎました。
東大久保からこの堀ノ内にある福相寺までは直線距離にして5kmほどで少し距離がありますがここが菩提寺であることもうなずけます。
山門の
彫刻にも時代を感じます。
境内に入ると
名残の八重桜が咲いていました。
中央線ができる以前のことはあまり考えてませんでした。
とても興味深いですね。
by akipon (2012-07-08 00:17)
吉祥寺に、吉祥寺という、お寺がないのは、お寺は移転してこなかったからなんですね。
by aoken (2012-07-08 00:52)
akipon さん
活気あふれる街並みに現代を感じるのもよいのですが 寂れた道筋にある庚申塚に昔を懐かしむのもなかなか良いものです。
by kurakichi (2012-07-08 06:41)
aoken さん
お寺の吉祥寺は移らず 名前だけが移ってきたということのようです。
by kurakichi (2012-07-08 06:46)
確かに中央線がない時代の街の想像がつかない現在ですね。
とても面白く拝見しました。
by tromboneimai (2012-07-08 08:26)
東京人8月号、さっそく買ってきましたが、4月からのバックナンバーも読みたいです。
たしかに、東西一直線の中央線や、南北一直線の幹線道路が、従来の道を斜めに分断しているのですよね。
中央線がなかった時代のこと、是非、知りたいです。
by お水番 (2012-07-08 08:40)
私が住んでいるところに近いです。
妙法寺には有吉佐和子さんのお墓があったような。。
中央線からサブカルチャーやらいろんな文化が生まれたから
なくてはならない存在ですね。
しかし中央線は事故が多くて困りますね。
娘の高校入試の時も開始2時間遅れました。
by Far-East (2012-07-08 08:59)
tromboneimai さん
土地の起伏、道の曲がり具合、分かれ道の角度、などなど いろいろ注意して歩くと違った景色が見えてきます。
by kurakichi (2012-07-08 13:49)
お水番 さん
なかなかおもしろい連載ですね。
8月号は地元の国分寺ですね。
by kurakichi (2012-07-08 13:51)
Far-East さん
昔から人身事故が多い路線で 自殺防止のためにいろいろ工夫してはいるのですがなかなか少なくなりません。
工夫の一つ それは荻窪駅上りホームのいt一番後ろ(三鷹側)の駅ビルの壁に鏡がつけられています。
人身事故が少なくならないのは社会に問題が多いからかもしれませんね。
by kurakichi (2012-07-08 13:56)
>そこであまり人が住んでいなかった今の場所に中央線が敷かれたというわけなのです。
とても面白い記事で、今後車窓の風景や街を歩く時の視点が変わりそうです。
by アヨアン・イゴカー (2012-07-09 08:00)
アヨアンイゴカー さん
私は高架線の電車に乗るとよく外を見ています。
道がどちらに向かっているか、街中で背の高いビルが並んで見えるところには主要道路があるのだなあ などと想像しながら乗っています。
by kurakichi (2012-07-09 10:35)
面白そうですね。
久しぶりに、東京人を、探してみます。
by kiyo (2012-07-11 20:58)
kiyo さん
8月号の特集は特におもしろいです。
by kurakichi (2012-07-11 22:49)
なるほど、吉祥寺や三鷹の辺りの道路が線路に対してビミョーな位置関係にあるのはそういう理由なんですか!鉄道のほうが新参者なんですね!!
by opas10 (2012-07-14 11:21)
opas10 さん
そうなんです。
鉄道の方が後からやってきて 無理やり町を切り裂いています。
by kurakichi (2012-07-14 23:15)