昔は川の町だった宝町 [街並]
堀切四季のみちを進むと ここがかつて川であった証
西光寺二橋と書かれた親柱と思われる石柱が残っていました。
ところでこの辺りは普通の住宅に混じって 小規模の町工場があります。
親柱の向いには紙器抜型西川製作所、道の途中には金属板の型抜き工場もありました。
堀切四季のみちはここで右に曲がり
交差点を越えて細くなってさらに宝町へと続いています。
この先も細い道は続き、その脇には
農家の納屋らしい建物があり次の辻を右に曲がると
この家の立派な門がありました。
おそらく江戸時代から続く庄屋さんなのでしょう。
南に5、6km行った亀戸の香取神社には亀戸大根之碑があって さらに小松川が発祥の地とされる小松菜は江戸時代は葛飾菜と呼ばれていることから この辺りではたくさんの野菜や米が作られていたようです。
実際まだ少しは耕作地もあるようで このあと迷い込んで入ったお屋敷の庭にあった軽トラの荷台には稲わらが積まれていました。
くねくねと続く道歩きは農家あり、町工場ありで この町の歴史をうかがい知ることができるとても楽しいものでした。
この先にも
住まいが併設された町工場
少し大きな
中村鍍金工業所というメッキ工場があって その前は
別の川筋であったと思われる道がありました。
このあと東京スカイツリーとは反対側に進み右に曲がると
かなり広い道に出ました。
西光寺二橋と書かれた親柱と思われる石柱が残っていました。
ところでこの辺りは普通の住宅に混じって 小規模の町工場があります。
親柱の向いには紙器抜型西川製作所、道の途中には金属板の型抜き工場もありました。
堀切四季のみちはここで右に曲がり
交差点を越えて細くなってさらに宝町へと続いています。
この先も細い道は続き、その脇には
農家の納屋らしい建物があり次の辻を右に曲がると
この家の立派な門がありました。
おそらく江戸時代から続く庄屋さんなのでしょう。
南に5、6km行った亀戸の香取神社には亀戸大根之碑があって さらに小松川が発祥の地とされる小松菜は江戸時代は葛飾菜と呼ばれていることから この辺りではたくさんの野菜や米が作られていたようです。
実際まだ少しは耕作地もあるようで このあと迷い込んで入ったお屋敷の庭にあった軽トラの荷台には稲わらが積まれていました。
くねくねと続く道歩きは農家あり、町工場ありで この町の歴史をうかがい知ることができるとても楽しいものでした。
この先にも
住まいが併設された町工場
少し大きな
中村鍍金工業所というメッキ工場があって その前は
別の川筋であったと思われる道がありました。
このあと東京スカイツリーとは反対側に進み右に曲がると
かなり広い道に出ました。
東京って、本当は川や用水がたくさんある町だったのですね。これを復原すると冷却装置となって、東京のヒートアイランドも随分緩和されるのではないかと思います。
国分寺でも、恋ヶ窪用水を復原して、ヒートアイランド緩和の社会実験をしたらどうかと提案したこともあったのですが・・・。
by お水番 (2012-10-26 09:17)
あ、うちの近くには「練馬大根碑」がありますよ。
どちらも近郊農業地域だったのでしょうね。
by ナツパパ (2012-10-26 15:39)
メッキ工場の、屋外に張り出した塩ビ配管の“色褪せ方”が何とも言えませんね^^
私は、ひょっとしたら「配管フェチ」かも知れません^^;)
by 風来鶏 (2012-10-26 16:44)
お水番 さん
農業をしなくなってたくさんの用水がなくなってしまいましたね。
残念なことです。
野川が暗渠化されずに整備されたことはとても良かったと思っています。
by kurakichi (2012-10-27 00:01)
ナツパパ さん
今は青首ばかりで 練馬も三浦もあまり見かけなくなりましたね。
by kurakichi (2012-10-27 00:06)
風来鶏 さん
かなり年季の入ったしぶ~い工場でした。
by kurakichi (2012-10-27 00:07)
きっと昔はもっとたくさん町工場があったのでしょうね。
by opas10 (2012-10-27 12:20)
opas10 さん
工場がなくなった分宅地化され町の特徴が薄れてきていますね。
町の見ごろも今がBESTでしょうか。
by kurakichi (2012-10-27 14:36)