白旗の坂 [古道]
このところ春の話題が続きましたが 少しもどって善福寺川散策の話の続きです。
前回は用水あとをたどって
この
古道の辻に出たところまででした。
この辻の左の道は「馬橋みち」といい これを行くと天祖神社に行き着き更に成宗須賀神社あたりまで行けます。
右の道は旧五日市街道でこのあたりは白旗の坂と呼ばれ この急坂を上ってしばらく進むと青梅街道に出ます。
この辻にあるのが
庚申堂で
元禄11年(1689年)の地蔵塔、宝暦10年(1760年)の馬頭観音塔、宝暦3年(1753年)の地蔵塔が右から並んで立っています。
この白旗の坂を下ると道は左に曲がり
広い道に出ます。
この道が現在の五日市街道です。
今の五日市街道は
ほぼ直線になっていますが旧道は善福寺川の両岸の急坂を左右にうねって通っていて「尾崎(おさき)の七曲り」と呼ばれていていました。
五日市街道は
江戸時代の初めは秋川で焼かれた炭を運んでいましたが 玉川上水ができ新田開発が進むと農作物を江戸に運ぶために大いに使われてきました。
そのころは急坂の白旗の坂を上るために荷車の後押しをする人がいたとのことです。
さて次は白幡の坂のすぐ下を流れる
善福寺川を大宮八幡宮に向かって歩きます。
前回は用水あとをたどって
この
古道の辻に出たところまででした。
この辻の左の道は「馬橋みち」といい これを行くと天祖神社に行き着き更に成宗須賀神社あたりまで行けます。
右の道は旧五日市街道でこのあたりは白旗の坂と呼ばれ この急坂を上ってしばらく進むと青梅街道に出ます。
この辻にあるのが
庚申堂で
元禄11年(1689年)の地蔵塔、宝暦10年(1760年)の馬頭観音塔、宝暦3年(1753年)の地蔵塔が右から並んで立っています。
この白旗の坂を下ると道は左に曲がり
広い道に出ます。
この道が現在の五日市街道です。
今の五日市街道は
ほぼ直線になっていますが旧道は善福寺川の両岸の急坂を左右にうねって通っていて「尾崎(おさき)の七曲り」と呼ばれていていました。
五日市街道は
江戸時代の初めは秋川で焼かれた炭を運んでいましたが 玉川上水ができ新田開発が進むと農作物を江戸に運ぶために大いに使われてきました。
そのころは急坂の白旗の坂を上るために荷車の後押しをする人がいたとのことです。
さて次は白幡の坂のすぐ下を流れる
善福寺川を大宮八幡宮に向かって歩きます。
街道巡り楽しそうです。
歩いていると色々と発見できそうですね。
by 響 (2013-04-11 00:26)
二股の道、なんか愛嬌がありますね。
by ヨッシーパパ (2013-04-11 17:43)
響 さん
ハイ、街歩き、街道歩きの楽しさは思わぬ発見にありますね。
by kurakichi (2013-04-11 23:06)
ヨッシーパパ さん
分かれ道という言い方がぴったりの道ですね。
by kurakichi (2013-04-11 23:07)