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明治丸  [建造物]

この日は7月15日だったので東京海洋大学の正門には
 
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「海の日」記念行事 の立て看板
掲示板には
 
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第12回 明治丸シンポジウム の張り紙がありました。
ちなみに今年のテーマは 蘇る明治丸 で、これは明治丸の修復が国の事業として認められ、今年から本格的な修復工事が開始されることによっています。

まずは明治丸を見に行きます。
正門を入って右手に行くとすぐに
 
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明治丸がありました。
 
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船首を回って
 
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船尾を回り
 
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一周してみました。
ご覧のように階段がつけられていて艦上にも上がれるようにはなっていますが 残念ながら今は閉鎖されています。
上に書いたように今年からこの船の修復工事が始まります。
修復が完成したら艦上にも上れるようになり、また艦内も見学できるようになるのではないかと期待しています。

明治丸は小型ですが細身のプロポーションが美しい船です。
日本政府が明治6年(1873年)にイギリスに発注しグラスゴーの造船所で造られた鉄製の補助帆付汽船で 明治8年(1875年)に日本に到着しその後 灯台巡廻船として使われました。
写真でわかるように機関の煙突が中央にあり 今は下部だけですが3本のマストがあります。
この船が造られたときは2本マストのスクーナーでした。
その姿は 第12回 明治丸シンポジウム のポスターに使われていた
 
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奥羽御巡幸図会に見ることができます。
明治丸は明治9年(1876年)に明治天皇が東北と北海道を巡幸されたとき 明治天皇は青森で明治丸に乗船し函館経由で横浜へ帰られました。
横浜に御帰着した日が7月20日でこの日が「海の記念日(現海の日)」になったということなのです。

初めは縦帆の2本マストでしたが 明治31年(1898年)に品川の造船所で 横帆3本マストのシップ型装に変更されました。
3本マストになった総帆の雄姿は 資料としてもらった「小笠原諸島の領有と明治丸の役割」に
 
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出ていました。
明治8年(1875年)にイギリスから到着した明治丸は11月に小笠原諸島の調査に行っています。
これはその当時まだ所属が明確でなかった小笠原諸島を実地調査をすることで日本の領有であることを明確にするものでした。
その後は地味な灯台の点検補修のために日本各地を巡廻する任に就くのですが明治30年(1897年)にこの商船学校に移管され繋留練習船として使われました。
そして記念船として陸上に固定されたのは昭和39年(1964年)でした。

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コメント 4

johncomeback

東京商船大学(当時)に進学した高校の友人はどうしてるかなあ。
by johncomeback (2013-07-19 17:53) 

kurakichi

johncomeback さん

きっと立派な船長さんになっていらっしゃるのと思いますよ。


by kurakichi (2013-07-20 01:22) 

opas10

海洋大学は、正面のレンガ造りの本館も素晴らしいですし、正門入って左手にあるレンガ造りの天体観測所もいいんですよね!
by opas10 (2013-07-20 23:56) 

kurakichi

opas10 さん

ハイ、どちらもしっかり見てきました。

by kurakichi (2013-07-21 00:31) 

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