弁慶硯の井戸 [神社仏閣教会]
JR南武線の分倍河原駅の東脇にある踏切を
写真の右手に行き緩い坂を上ってゆくと
旧甲州街道に突き当たります。
その片町二丁目交差点の手前に
英国の民家風の建物がありました。
レストランなのかと思いましたがどうもそうではなさそうです。
この家が何なのか気になったので帰って調べると ここは 欅の杜精神衛生相談室 という名の施設でした。
この建物の向かいに道があり その先は高安寺というお寺で
境内を抜けられそうです。
境内に入ってすぐに
お社があり 扁額には
咤枳尼尊天(だきにそんてん)と書かれています。
wikipedia によれば吒枳尼天は稲荷信仰と習合し、今日、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体とする と書かれていますので ここ稲荷神社なのです。
気になるのはこのお社の脇に
弁慶硯の井戸と彫られた石碑があって そこから少し下ると
その井戸があります。
今は高安寺であるこのお寺はその前は見性寺という名のお寺で
義経が鎌倉入りを拒まれた時にここに寄って弁慶とここで大般若経を写経したのだそうです。
その時使った井戸がこの井戸なのだそうです。
ここに書かれている秀郷稲荷が先ほどの咤枳尼尊天の扁額があるお社で もともとここは平将門を追討した藤原秀郷(田原藤太)の館があった場所なのです。
写真の右手に行き緩い坂を上ってゆくと
旧甲州街道に突き当たります。
その片町二丁目交差点の手前に
英国の民家風の建物がありました。
レストランなのかと思いましたがどうもそうではなさそうです。
この家が何なのか気になったので帰って調べると ここは 欅の杜精神衛生相談室 という名の施設でした。
この建物の向かいに道があり その先は高安寺というお寺で
境内を抜けられそうです。
境内に入ってすぐに
お社があり 扁額には
咤枳尼尊天(だきにそんてん)と書かれています。
wikipedia によれば吒枳尼天は稲荷信仰と習合し、今日、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体とする と書かれていますので ここ稲荷神社なのです。
気になるのはこのお社の脇に
弁慶硯の井戸と彫られた石碑があって そこから少し下ると
その井戸があります。
今は高安寺であるこのお寺はその前は見性寺という名のお寺で
義経が鎌倉入りを拒まれた時にここに寄って弁慶とここで大般若経を写経したのだそうです。
その時使った井戸がこの井戸なのだそうです。
ここに書かれている秀郷稲荷が先ほどの咤枳尼尊天の扁額があるお社で もともとここは平将門を追討した藤原秀郷(田原藤太)の館があった場所なのです。
たまに通る道です。あのイギリス風のお家は、
普通のお宅だと思っていました。
お寺らしきものがあると思っていましたが、、、
井戸があるとはビックリです。
通る時は夜なので、覗く勇気はありませんが^^;
by みち (2013-11-21 23:15)
みち さん
新しく歩くところにはいろいろ発見があって楽しいですね。
井戸があるところは昼でも暗いのでご注意を。
by kurakichi (2013-11-21 23:52)
兄頼朝は、弟義経の活躍(人気)が妬ましかったのでしょうね(ーー;)
by 風来鶏 (2013-11-22 20:45)
風来鶏 さん
妬みは恐ろしいですね。
by kurakichi (2013-11-22 23:47)