気象神社 [神社仏閣教会]
高円寺駅の北口広場で大駱駝艦の金粉ショーを見てから南口を散策しました。
それというのも以前から見てみたいと思っていた場所があるからです。
高円寺南口の新宿寄りの道を行くとすぐにあるのが
氷川神社です。
この神社は口伝ですが天文年間(1531~44年)の創建で大宮の氷川神社を勧進しその後高円寺村小名原の鎮守さまになったのだそうです。
ちなみにこの神社の別当はここと桃園川緑道の間にある高円寺です。
江戸時代、神社とお寺は寺社奉行の管理下にあり そして神社は近くのお寺の下に位置づけされ そのお寺を別当寺といいます。
なぜお寺が神社の上にあるのかは お寺にはお墓があってその周りに住む人と深くかかわっていてその家系を記した過去帳があったことが重要なのです。
過去帳を元に人別帳が作られ、幕府は今の戸籍のようなものである人別帳を元に人民を管理していたのです。
そのような管理体制からお寺の方が神社の上に位置していたのです。
まあそれはそれとして なぜこの氷川神社に行ってみたかったかというのは
ここには境内神社として
気象神社があるからなのです。
気象神社は元々陸軍の敷地内にあったもので、陸軍気象部の人たちがが『天気予報が当たりますように』と毎朝拝んでいた神社でしたが、終戦で陸軍気象部がなくなり民間に払い下げになってここに移設されたものなのです。
この日は気象神社脇にある
奉納された力石と
気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた猫に気を取られ社殿の写真を撮り損なってしっまいました。
気象神社の絵馬は
下駄占いに因んで可愛い下駄の形のものと 晴れのおまじないの布製のてるてる坊主です。
それというのも以前から見てみたいと思っていた場所があるからです。
高円寺南口の新宿寄りの道を行くとすぐにあるのが
氷川神社です。
この神社は口伝ですが天文年間(1531~44年)の創建で大宮の氷川神社を勧進しその後高円寺村小名原の鎮守さまになったのだそうです。
ちなみにこの神社の別当はここと桃園川緑道の間にある高円寺です。
江戸時代、神社とお寺は寺社奉行の管理下にあり そして神社は近くのお寺の下に位置づけされ そのお寺を別当寺といいます。
なぜお寺が神社の上にあるのかは お寺にはお墓があってその周りに住む人と深くかかわっていてその家系を記した過去帳があったことが重要なのです。
過去帳を元に人別帳が作られ、幕府は今の戸籍のようなものである人別帳を元に人民を管理していたのです。
そのような管理体制からお寺の方が神社の上に位置していたのです。
まあそれはそれとして なぜこの氷川神社に行ってみたかったかというのは
ここには境内神社として
気象神社があるからなのです。
気象神社は元々陸軍の敷地内にあったもので、陸軍気象部の人たちがが『天気予報が当たりますように』と毎朝拝んでいた神社でしたが、終戦で陸軍気象部がなくなり民間に払い下げになってここに移設されたものなのです。
この日は気象神社脇にある
奉納された力石と
気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた猫に気を取られ社殿の写真を撮り損なってしっまいました。
気象神社の絵馬は
下駄占いに因んで可愛い下駄の形のものと 晴れのおまじないの布製のてるてる坊主です。
おはようございます。
ご来訪ありがとうございました。
by yhiga-siura (2014-05-12 06:02)
yhiga-siura さん
愛するものがなくなってしまうのはとてもつらいことですね。
by kurakichi (2014-05-12 22:52)
ニャンコが顔を洗うと“雨”でしたね^^;)
by 風来鶏 (2014-05-13 20:02)
風来鶏 さん
彼(彼女?)は気象神社専属の気象予報士だったかもしれませんね。
この時は顔を洗っていませんでした。
確かに翌日は晴れました。
あたりです。
by kurakichi (2014-05-14 11:52)