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有楽町から日比谷方面に  [街並]

東京ジャズを聴きに行った9月7日はいつもの通り開演よりだいぶ前に会場近くまで行って街歩きをしました。
有楽町駅のビックカメラ側の出口を出て交差点を日比谷側に渡ると有楽町電気ビルヂングの前に
 
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有楽稲荷がありました。
このお稲荷さんの道路側にはこのビルの表札のようなちょっとした壁があってその壁を回り込まなければお稲荷さんには気づきません。
そしてこの稲荷さんはこのビルが建て替えられるとき一時山王日枝神社に遷座されていて再びこの場所に戻った時にこの
 
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お狐さまも新しくなったようですがどうも私には、、、
このお稲荷さんは安政6年(1859年)ここに屋敷を構えていた永井飛騨守が建てたもので関東大震災の時も被害を受けなかったことから有楽町のパワースポットになっているようです。

先日読んだ
 
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内田宗治氏の 東京の微地形散歩 にあった大正6年(1917年)の地図には
 
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鉄道の右側に沿って外濠が描かれています。
江戸時代外濠の外側は町人の地であって内側には大名屋敷があってここに住んでいたのが永井飛騨守だったのです。
そもそも有楽町の名の起こりはここに織田有楽斎が住んでいたからというのがよく知られていますがどうもそれは違うようです

実は有楽町駅辺りは

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穂積和夫氏の 絵で見る明治の東京 によると
 
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東京駅ができるはずだったのですがこの計画があまりにお金がかかることから計画が見直され今の場所に東京駅ができここには有楽町駅ができたとのことです。

有楽町駅は当初から高架で高架下にはいつの頃からかはわかりませんが
 
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お店として利用されています。
写真に写っているのは看板からするとちゃんとした酒屋さんだったようですが今は自動販売機だけのお店になっています。
この日夜にここをもう一度通ったのですがスーツを着たサラリーマンが数名ずついくつかのグループに分かれてワンカップやビールを片手に宴会を開いていました。
そういう呑み方は昔はブルーカラーの特権だったのですが今やホワイトカラーの若者にも浸透しています。
 
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晴海通りを渡り鉄道の高架脇を歩きます。
 
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新しく居酒屋ができていました。
文蔵と聞けばあの居酒屋兆治のモデルになった谷保にあった文蔵をつい思い出してしまいますが今はチェーン店の鍛冶屋文蔵です。
 
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ここは今はやっていないお店、昔は天井高が若干低いのを我慢してお店にしていましたが 新しくできた文蔵は床面を少し掘り下げて天井高をかせいでいます。

新しいお店、古くからやっているお店を取り混ぜて
 
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この高架下には様々な飲食店があります。
次の交差点を越えると
 
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何やら工事中のようです。
ここにも新たな飲食店ができるのでしょうか、、、

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コメント 4

sig

こんにちは。
昔、有楽町電気ビルヂングに通ったことがあるのですが、お稲荷さんは全く気が付きませんでした。仕事での行き来だけでしたからね。
by sig (2014-09-21 17:41) 

kurakichi

sig さん

私も来た道を振り返って初めて気が付きました。
有楽町電気ビルヂングの真ん前にあるのに意外と気が付きません。

by kurakichi (2014-09-21 19:57) 

majyo

有楽町も新橋もカード下は飲み屋さんがいっぱいありました。
会社が晴海にあったので、時々は冒険心で寄りました。(*^。^*)
今から40年前ですが、そう変わってはいないと思います。
それにしても、古地図は楽しいですね。

by majyo (2014-09-21 20:26) 

kurakichi

majyo さん

ここはあまり変わってほしくない場所ですね。
ずっとこのままでいてほしいと願っています。

by kurakichi (2014-09-21 21:20) 

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