貫井分水をたずねて [はけの道]
昨日の記事の湧水の道に流れている水ははたして湧水なのだろうかと疑問が浮かびました。
それは この小川に注いでいる水は
私の幼いときの記憶では
湧水の道に交差しているこの道の右側を流れていたような気がします。
この道の右側は今は土盛りされて家が建っていますが昔は沼地であった記憶があります。
道の際にはたして小川が流れていたのかははっきりした記憶がありません。
もしかしたらすでに暗渠になっていたのかもしれませんが
今は実際にマンホールで明らかなように暗渠になって水が流れています。
そして小さな坂を上がると
竹やぶと右側にある家の間に今でも空き地があります。
ここはハケの坂を上がって上から見ると
柵が設けられていて ここが誰の土地なのかはっきりしていません。
実際ここは昔コンクリートで固められた水路があって その斜面があまりにも急であったために滝のようにごうごうと音を立てて水が流れていたことは 小さなときの記憶ですがはっきりと覚えています。
大岡昇平の小説 武蔵野夫人 のなかに
立ち止まってじっと水の湧くさまを眺めている勉に、道子は
「何をそんなに感心してんの」と訊かずにはいられなかった。
道子も水に対する興味に感染していた。彼女は神社の左手の崖の上から聞こえる一つの水音に注意していた。音はしゅるしゅるという滑るような音で、明らかに拝殿の後ろの湧水より高い位置から始まっていた。それと重なって下の方へ別に轟くような激しい音があった。 中略 一尺ほどの幅のコンクリート溝が林の縁の人家に沿ってあり、
との記述があります。
ここに書かれている 神社は貫井神社であって 一尺ほどの幅のコンクリート溝は私の記憶にある水路であったと思います。
この崖のすぐ後ろには
暗渠のマンホールがあり 振り向いた後ろには
まっすぐな道がJR中央線に向かってあります。
これも私の淡い記憶なのですが この道の左側に小川が流れていてその岸辺は桜並木になっていた記憶があります。
川は道と共に北に向かって伸びていて
連雀通りの手前で暗渠になって
JR中央線の弁天道踏切の下を潜っていたと記憶しています。
野川に注いでいた、そして今でも注いでいる水はハケの湧水だけではなかったのです。
追記
この貫井分水についての私の記憶はあいまいで 弁天道踏切から先玉川上水に至る経路についてはまったく覚えがありません。
imakenpressブログさんによると鷹の台駅辺りで取水された国分寺村分水が恋ヶ窪巌島大弁財天の場所で貫井村向けに分水されたものが貫井分水と呼ばれているとのことです。
実際に足を使ってこの分水について調べられているimakenpressブログさんは流れていたと思われる水路の地図を作られています。
それは この小川に注いでいる水は
私の幼いときの記憶では
湧水の道に交差しているこの道の右側を流れていたような気がします。
この道の右側は今は土盛りされて家が建っていますが昔は沼地であった記憶があります。
道の際にはたして小川が流れていたのかははっきりした記憶がありません。
もしかしたらすでに暗渠になっていたのかもしれませんが
今は実際にマンホールで明らかなように暗渠になって水が流れています。
そして小さな坂を上がると
竹やぶと右側にある家の間に今でも空き地があります。
ここはハケの坂を上がって上から見ると
柵が設けられていて ここが誰の土地なのかはっきりしていません。
実際ここは昔コンクリートで固められた水路があって その斜面があまりにも急であったために滝のようにごうごうと音を立てて水が流れていたことは 小さなときの記憶ですがはっきりと覚えています。
大岡昇平の小説 武蔵野夫人 のなかに
立ち止まってじっと水の湧くさまを眺めている勉に、道子は
「何をそんなに感心してんの」と訊かずにはいられなかった。
道子も水に対する興味に感染していた。彼女は神社の左手の崖の上から聞こえる一つの水音に注意していた。音はしゅるしゅるという滑るような音で、明らかに拝殿の後ろの湧水より高い位置から始まっていた。それと重なって下の方へ別に轟くような激しい音があった。 中略 一尺ほどの幅のコンクリート溝が林の縁の人家に沿ってあり、
との記述があります。
ここに書かれている 神社は貫井神社であって 一尺ほどの幅のコンクリート溝は私の記憶にある水路であったと思います。
この崖のすぐ後ろには
暗渠のマンホールがあり 振り向いた後ろには
まっすぐな道がJR中央線に向かってあります。
これも私の淡い記憶なのですが この道の左側に小川が流れていてその岸辺は桜並木になっていた記憶があります。
川は道と共に北に向かって伸びていて
連雀通りの手前で暗渠になって
JR中央線の弁天道踏切の下を潜っていたと記憶しています。
野川に注いでいた、そして今でも注いでいる水はハケの湧水だけではなかったのです。
追記
この貫井分水についての私の記憶はあいまいで 弁天道踏切から先玉川上水に至る経路についてはまったく覚えがありません。
imakenpressブログさんによると鷹の台駅辺りで取水された国分寺村分水が恋ヶ窪巌島大弁財天の場所で貫井村向けに分水されたものが貫井分水と呼ばれているとのことです。
実際に足を使ってこの分水について調べられているimakenpressブログさんは流れていたと思われる水路の地図を作られています。
暗渠になるのは、市街地化が急速に進んだせいなのでしょうか。
小川が流れる桜並木、素晴らしいなあ、と想像してしまいます。
by ナツパパ (2011-03-24 08:12)
ナツパパ さん
都市化が大きな要素でしょうね。
衛生面、子供の事故の防止、道としての活用などといったところでしょうか。
私が幼稚園に通っていたときは確かに小川があって桜の花が咲いていた記憶があります。
by kurakichi (2011-03-24 17:44)
Dear Kurakichi さん
Are you OK?
Sorry to set my regards to you so late, as my computer got something wrong recentily.
Pray for Japan
by M.E. (2011-03-24 19:35)
流れが道で見えなくなってる、ハケを落ちた水は道の下を通っていたのかな?野川に向かう流れは 確かに見える・1947年
文を読むのがおっくうになって、「写真1枚撮っとけよ」と叫んでしまう。
by はなこ (2011-03-24 19:53)
M.E. さん
Thank you for worrying about us and sending a message.
I'm safe and all right.
We're glad that you pray for Japan.
Thank you, thank you so much.
by kurakichi (2011-03-24 20:56)
はなこ さん
私も1947年の航空写真で調べたのですが今ひとつよくわかりませんでした。
by kurakichi (2011-03-24 21:08)
貫井分水は聞いてことがあります
会社の歩こう会でハケの説明をしながらお鷹の道まで300人引き連れて
歩きました 警察に届けて許可をもらってから・・
by セイミー (2011-03-24 21:13)
セイミー さん
貫井分水については私もよくわからないのですが imakenpressブログさんがかなり詳しく調べられています。
追記をいたしましたのでご参考いただければと存じます。
by kurakichi (2011-03-24 22:08)
宅地化が進んで、“暗渠”になってしまったのですね?!
我が家のすぐ近くに用水路があって、桜の並木が続いています。
そろそろ咲いても良い季節なのですが・・・^^;)
by 風来鶏 (2011-03-24 22:29)
風来鶏 さん
東京にある大きな川は開渠であってもコンクリートで固められ 中規模以下の川は暗渠化されてしまい 土の護岸の小川はほんの少ししか残っていません。
私は積極的に自然を残そうと改修されている野川の近くにいて幸せに思っています。
by kurakichi (2011-03-25 06:24)
航空写真は1枚じゃわからないよ。2枚重ねてヒガラメで3Dにすると水路なんかとてもはっきりする。
by はなこ (2011-03-25 12:14)
kurakichiさんは、ここの辺りの自然の残る中で育ったんですね~♪
以前、連雀通り近くのソネ仲間や果樹園のおばあちゃん達から、
連雀通りに沿って川が流れていた話を聞いて、驚いたものですが、
やはり、そんなに昔のことではないのに、今は面影もないですね!
by urara☆ (2011-03-25 13:55)
はなこ さん
そういう使い方もあるのですか。
良いことを教えていただきました。
by kurakichi (2011-03-25 21:02)
urara☆ さん
最近国分寺にあった畑やお屋敷が分譲宅地として整地されました。
あっという間に風景は変わってしまいます。
by kurakichi (2011-03-25 21:05)
お久しぶりです。
7枚目の写真、四小へ向かう、まさに私の
通学路でしたが小川、桜並木の記憶は全くありません。
そこで70代の親父に聞いてみたところ、確かに川があり
なんと水車もあったとのこと。
imakenpressブログさんのおっしゃる通り、現在の「いろりの里」
辺りから分水されていたそうです。
by 小僧っ子 (2011-03-27 16:49)
小僧っ子 さん
私の記憶もたいへん淡いものなので 私がこの道を使って通学するようになってまもなく暗渠になったのだと思います。
by kurakichi (2011-03-27 17:42)