小金井市文化財センター [博物館・展示館]
浴恩館は今
小金井市文化財センターになっています。
では
中に入ってみます。
ちなみにこの浴恩館の扁額は戦前に文部大臣、内務大臣などを政府要職を歴任した一木喜徳郎氏が揮毫したものです。
館内は今は一部屋として使われていて
小金井市を中心にその歴史について展示されています。
小金井市で発掘された縄文時代の
土器や石器に始まり
近世(明治から戦前あたりまで)の
資料や生活道具などが展示されています。
この中でとても驚いたものが一つありました。
それは
明治7年(1874年)の神奈川県の地図です。
小金井が明治5年(1872年)から明治26年(1893年)まで神奈川県に属していたことをこのとき初めて知りました。
さて浴恩館には
渡り廊下がつけられていて 昨日の記事の瓢箪池の脇に立つ
南寮に
行くことができ、
そこには
ここが合宿教育の場として使われていた当時の教室が再現されていました。
小金井市文化財センターになっています。
では
中に入ってみます。
ちなみにこの浴恩館の扁額は戦前に文部大臣、内務大臣などを政府要職を歴任した一木喜徳郎氏が揮毫したものです。
館内は今は一部屋として使われていて
小金井市を中心にその歴史について展示されています。
小金井市で発掘された縄文時代の
土器や石器に始まり
近世(明治から戦前あたりまで)の
資料や生活道具などが展示されています。
この中でとても驚いたものが一つありました。
それは
明治7年(1874年)の神奈川県の地図です。
小金井が明治5年(1872年)から明治26年(1893年)まで神奈川県に属していたことをこのとき初めて知りました。
さて浴恩館には
渡り廊下がつけられていて 昨日の記事の瓢箪池の脇に立つ
南寮に
行くことができ、
そこには
ここが合宿教育の場として使われていた当時の教室が再現されていました。
お早うございます。
廃藩置県の後の線引き、今から考えると「へえー」と感じるもの、あちこちにありますね。
by 夏炉冬扇 (2012-03-19 07:36)
夏炉冬扇 さん
明治になって外貨獲得の最大の産業は養蚕でした。
上の写真に多くの機織り機の展示があるように多摩西部では養蚕が盛んでした。
生産された生糸は横浜港から輸出されていたので 東京よりも横浜との結びつきが強く神奈川県の当初の形がこの様なものになったのではないかと思います。
明治22年(1889年)に中央線(新宿ー八王子)が開通したことが多摩地域が東京に編入されるきっかけになったと思われます。
by kurakichi (2012-03-19 08:54)
武蔵の国ですか
絹を運んだ横浜の港に近く
工藝高校が創られ、其の学校の図案科を卒業しました。
シルクのスカーフのデザインなども昔はあったのですが
今は日本も繊維からバイオ産業などに転換してしまいましたね。繊維王国も昔になりましたね。
by SILENT (2012-03-19 10:04)
SILENT さん
もう昔の勢いはありませんね。
しかしシルクはバイオレベル、つまり通気・換気性、対菌性、紫外線のカットとかでまた注目を浴びていますね。
by kurakichi (2012-03-19 13:38)
沒有醫生的處方
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by Cialis for sale (2018-04-15 02:44)