SSブログ

小金井市文化財センター  [博物館・展示館]

浴恩館は今
 
120319_001.jpg

小金井市文化財センターになっています。
では
 
120319_002.jpg

中に入ってみます。
ちなみにこの浴恩館の扁額は戦前に文部大臣、内務大臣などを政府要職を歴任した一木喜徳郎氏が揮毫したものです。

館内は今は一部屋として使われていて
 
120319_003.jpg

小金井市を中心にその歴史について展示されています。
小金井市で発掘された縄文時代の
 
120319_004.jpg

土器や石器に始まり
近世(明治から戦前あたりまで)の
 
120319_005.jpg

資料や生活道具などが展示されています。

この中でとても驚いたものが一つありました。
それは
 
120319_006.jpg
 
明治7年(1874年)の神奈川県の地図です。
小金井が明治5年(1872年)から明治26年(1893年)まで神奈川県に属していたことをこのとき初めて知りました。

さて浴恩館には
 
120319_007.jpg

渡り廊下がつけられていて 昨日の記事の瓢箪池の脇に立つ
 
120318_005.jpg

南寮に

120319_008.jpg

行くことができ、
そこには
 
120319_009.jpg

ここが合宿教育の場として使われていた当時の教室が再現されていました。

nice!(112)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 112

コメント 5

夏炉冬扇

お早うございます。
廃藩置県の後の線引き、今から考えると「へえー」と感じるもの、あちこちにありますね。

by 夏炉冬扇 (2012-03-19 07:36) 

kurakichi

夏炉冬扇 さん

明治になって外貨獲得の最大の産業は養蚕でした。
上の写真に多くの機織り機の展示があるように多摩西部では養蚕が盛んでした。
生産された生糸は横浜港から輸出されていたので 東京よりも横浜との結びつきが強く神奈川県の当初の形がこの様なものになったのではないかと思います。
明治22年(1889年)に中央線(新宿ー八王子)が開通したことが多摩地域が東京に編入されるきっかけになったと思われます。

by kurakichi (2012-03-19 08:54) 

SILENT

武蔵の国ですか
絹を運んだ横浜の港に近く
工藝高校が創られ、其の学校の図案科を卒業しました。
シルクのスカーフのデザインなども昔はあったのですが
今は日本も繊維からバイオ産業などに転換してしまいましたね。繊維王国も昔になりましたね。
by SILENT (2012-03-19 10:04) 

kurakichi

SILENT さん

もう昔の勢いはありませんね。
しかしシルクはバイオレベル、つまり通気・換気性、対菌性、紫外線のカットとかでまた注目を浴びていますね。

by kurakichi (2012-03-19 13:38) 

Cialis for sale

沒有醫生的處方
cialis prezzo al pubblico http://cialisvonline.com/ Tadalafil generic
by Cialis for sale (2018-04-15 02:44) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

浴恩館 東経大下の春  ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。