東郷寺に行ってみたⅣ [神社仏閣教会]
wikipediaによれば 東郷平八郎は昭和9年(1934年)に亡くなっています。
その後 国粋主義の流れに乗って神格化が図られ 昭和12年(1937年)には渋谷区神宮前一丁目に東郷神社が作られ 昭和15年(1940年)に東郷の別荘があったこの地に東郷寺が日蓮宗の寺として建てられました。
比較的新しい寺のためか このお寺の伽藍配置はとても変わっています。
普通参道を進み、山門をくぐると目の前には 本堂などの建物が目に入りますが ここは山門の先には建物は無く一本道があって その右側に本堂と庫裏があり、左側には入口に
知恩報恩 の扁額が掛かる墓地があります。
その墓地を左手に道を進み 振り返ると
山門はこのように見えます。
この一本道はいったい何なのか 不思議に思いさらに先に進むと
そこにも墓地があって 一段高いところに
東郷元帥墓 と書かれた墓石がありました。
実際の東郷平八郎の墓は多磨霊園にあるのですが ここでも東郷を偲ぶために建てられているのでしょう。
ここには他にも
おそらくこの寺を建てることに尽力した東郷さんの番頭と呼ばれていた小笠原長生の墓石と英霊供養塔が並んで建っています。
この墓があるあたりは東郷が別荘として使っていたころ畑であったであろうと想像できる
場所も残されているのですがそこには
奇妙な塔が立っていました。
そこに書かれている文字は
問題があって戦後に塗りつぶされたと思われますが これを書いたのが前出の日獨伊親善協會會長の小笠原長生であることから
塗りつぶされた文字は 枢軸国必勝祈念塔 であるようです。
あの巨大な山門とそこから一直線に続く道は 東郷元帥墓とこの塔に至るためのものだったのです。
その後 国粋主義の流れに乗って神格化が図られ 昭和12年(1937年)には渋谷区神宮前一丁目に東郷神社が作られ 昭和15年(1940年)に東郷の別荘があったこの地に東郷寺が日蓮宗の寺として建てられました。
比較的新しい寺のためか このお寺の伽藍配置はとても変わっています。
普通参道を進み、山門をくぐると目の前には 本堂などの建物が目に入りますが ここは山門の先には建物は無く一本道があって その右側に本堂と庫裏があり、左側には入口に
知恩報恩 の扁額が掛かる墓地があります。
その墓地を左手に道を進み 振り返ると
山門はこのように見えます。
この一本道はいったい何なのか 不思議に思いさらに先に進むと
そこにも墓地があって 一段高いところに
東郷元帥墓 と書かれた墓石がありました。
実際の東郷平八郎の墓は多磨霊園にあるのですが ここでも東郷を偲ぶために建てられているのでしょう。
ここには他にも
おそらくこの寺を建てることに尽力した東郷さんの番頭と呼ばれていた小笠原長生の墓石と英霊供養塔が並んで建っています。
この墓があるあたりは東郷が別荘として使っていたころ畑であったであろうと想像できる
場所も残されているのですがそこには
奇妙な塔が立っていました。
そこに書かれている文字は
問題があって戦後に塗りつぶされたと思われますが これを書いたのが前出の日獨伊親善協會會長の小笠原長生であることから
塗りつぶされた文字は 枢軸国必勝祈念塔 であるようです。
あの巨大な山門とそこから一直線に続く道は 東郷元帥墓とこの塔に至るためのものだったのです。
以前・・・かなり以前。
逗子海岸に抜けるメインストリート
海寄りに東郷さんの別荘が在りました。
by lamer (2012-04-29 16:26)
今晩は。
隣町に日露海戦を祈念した「東郷公園」というのがあって「東郷神社」があります。
by 夏炉冬扇 (2012-04-29 18:35)
lamer さん
海にも別荘があったのですか。
by kurakichi (2012-04-30 00:37)
夏炉冬扇 さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A6%8F%E6%B4%A5%E5%B8%82)
ここのことですね。
隣町でしたか。
by kurakichi (2012-04-30 00:39)
こんにちは。
この奥までは入ったことはありませんでした。
なるほど、こうなっているんですね。
by sig (2012-04-30 17:04)
sig さん
意外なものがありました。
やはり普通のお寺ではありませんでした。
by kurakichi (2012-05-01 01:37)