披官稲荷神社 [神社仏閣教会]
浅草神社の拝殿の脇から裏に回ると 浅草神社とはまったく異なる佇まいの
神社があります。
この神社は
披官(ひかん)稲荷神社といいます。
遠くから見て社殿だと思っていたこの建物、鳥居をくぐって近づいてみると
社殿だと思っていたのは大正期に作られた覆屋(おおいや)と呼ばれる建物で
実際の社殿は火山岩で作られた塚の上に置かれたかなり小ぶりのものでした。
鳥居脇の
説明板によると
このお稲荷さんは新門辰五郎が妻の病気平癒を祈って伏見稲荷に祈願したところ その甲斐あって病が全快したので 伏見稲荷を勧請してここに披官稲荷神社として祀ったのだそうです。
新門の名は
鳥居脇の石灯籠にも刻まれています。
新門辰五郎は浅草寺と浅草神社にとって欠かせない人物で
一番右に写っている杉林仁一さんがその七代目になります。
さてこの社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で横から見ると
建物の前の屋根がだいぶ前にせり出しています。
小ぶりとはいえ、安政2年(1855年)に作られた社殿は細部の仕上げもしっかりと作られていて また桧皮葺の屋根もその形をとどめています。
鳥居の額には 披官稲荷神社 とありますが 説明板では 被官稲荷神社 となっています。
ひかんのひが手偏か衣偏の違いがありますが、どちらも説明板にあるように 出世 を意味します。
そこで出世を希望する人は 朱塗りではないのですが
鳥居を奉納し、または
可愛いお狐さまを奉納して祈願しています。
このお狐さま 近づいてみると顔の形が
ひげのあるものとないものの二種類あります。
雄狐と雌狐なのでしょうか?
この手書きのお狐さまは どちらであっても とても可愛いお狐さまでした。
神社があります。
この神社は
披官(ひかん)稲荷神社といいます。
遠くから見て社殿だと思っていたこの建物、鳥居をくぐって近づいてみると
社殿だと思っていたのは大正期に作られた覆屋(おおいや)と呼ばれる建物で
実際の社殿は火山岩で作られた塚の上に置かれたかなり小ぶりのものでした。
鳥居脇の
説明板によると
このお稲荷さんは新門辰五郎が妻の病気平癒を祈って伏見稲荷に祈願したところ その甲斐あって病が全快したので 伏見稲荷を勧請してここに披官稲荷神社として祀ったのだそうです。
新門の名は
鳥居脇の石灯籠にも刻まれています。
新門辰五郎は浅草寺と浅草神社にとって欠かせない人物で
一番右に写っている杉林仁一さんがその七代目になります。
さてこの社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で横から見ると
建物の前の屋根がだいぶ前にせり出しています。
小ぶりとはいえ、安政2年(1855年)に作られた社殿は細部の仕上げもしっかりと作られていて また桧皮葺の屋根もその形をとどめています。
鳥居の額には 披官稲荷神社 とありますが 説明板では 被官稲荷神社 となっています。
ひかんのひが手偏か衣偏の違いがありますが、どちらも説明板にあるように 出世 を意味します。
そこで出世を希望する人は 朱塗りではないのですが
鳥居を奉納し、または
可愛いお狐さまを奉納して祈願しています。
このお狐さま 近づいてみると顔の形が
ひげのあるものとないものの二種類あります。
雄狐と雌狐なのでしょうか?
この手書きのお狐さまは どちらであっても とても可愛いお狐さまでした。
このきつねさんはほんと可愛いですね!
これを見る為だけでも行ってみたいです♪
by Cazz (2012-05-21 14:37)
Cazz さん
豪徳寺の招き猫の可愛いですが ここのお狐さまもとても可愛いですね。
by kurakichi (2012-05-21 22:54)