道路元標をじっくり見てみる [建造物]
今の日本橋は明治44年(1911年)に造られていて 一昨年この橋をじっくり見に行ったときは翌年の100周年を前にして化粧直しの修復工事をしているときでした。
先日アートアクアリウム展2012を観にいったとき綺麗になった日本橋を見るために立ち寄りました。
日本橋の四本の親柱には
東京都(建造当時は東京市)の紋章に足をかけた獅子、
橋の中央の左右の欄干には
麒麟が置かれています。
これらのブロンズ像は彫刻家の渡辺長男(わたなべおさお)が造っています。
さてその麒麟がある左右の柱を結ぶ線の中央に
日本国道路元標があります。
そしてその道路元標の上には首都高の壁に支えられる奇妙な形で
柱が立っています。
実はここを走っていた都電の架線を支える柱がもともとの道路元標だったのですが 昭和47年(1972年)に都電が廃止されたときに柱は橋の北詰めに
移設され 佐藤栄作第36代総理大臣揮毫の新道路元標が柱があった場所に埋め込まれました。
北詰めに移された道路元標柱の脇には
現在の道路元標のレプリカも置かれています。
この道路元標柱と道路元標レプリカが置かれている元標の広場には
こういったいきさつが書かれている銅版もありますが腐食による変色でとても読みづらいものでした。
さて一昨年日本橋をじっくり見にいったときは南詰めの片方にある日本橋の由来が書かれている碑を見ることができましたが もう一方についてはシートで覆われていて見ることができませんでした。
そこには新しく
滝の広場が造られていました。
広場の下には桟橋も造られ
この河岸は双十郎河岸と名づけられました。
双十郎とは歌舞伎の東の代表市川團十郎、西の代表坂田藤十郎の二人のことで 100周年の記念行事のときこの二人が屋形船からこの河岸に上がるパフォーマンスが行われました。
先日アートアクアリウム展2012を観にいったとき綺麗になった日本橋を見るために立ち寄りました。
日本橋の四本の親柱には
東京都(建造当時は東京市)の紋章に足をかけた獅子、
橋の中央の左右の欄干には
麒麟が置かれています。
これらのブロンズ像は彫刻家の渡辺長男(わたなべおさお)が造っています。
さてその麒麟がある左右の柱を結ぶ線の中央に
日本国道路元標があります。
そしてその道路元標の上には首都高の壁に支えられる奇妙な形で
柱が立っています。
実はここを走っていた都電の架線を支える柱がもともとの道路元標だったのですが 昭和47年(1972年)に都電が廃止されたときに柱は橋の北詰めに
移設され 佐藤栄作第36代総理大臣揮毫の新道路元標が柱があった場所に埋め込まれました。
北詰めに移された道路元標柱の脇には
現在の道路元標のレプリカも置かれています。
この道路元標柱と道路元標レプリカが置かれている元標の広場には
こういったいきさつが書かれている銅版もありますが腐食による変色でとても読みづらいものでした。
さて一昨年日本橋をじっくり見にいったときは南詰めの片方にある日本橋の由来が書かれている碑を見ることができましたが もう一方についてはシートで覆われていて見ることができませんでした。
そこには新しく
滝の広場が造られていました。
広場の下には桟橋も造られ
この河岸は双十郎河岸と名づけられました。
双十郎とは歌舞伎の東の代表市川團十郎、西の代表坂田藤十郎の二人のことで 100周年の記念行事のときこの二人が屋形船からこの河岸に上がるパフォーマンスが行われました。
ご訪問 & nice! 有難うございました。
by センニン (2012-09-17 21:34)
センニン さん
こちらこそありがとうございます。
by kurakichi (2012-09-17 23:39)