両国を歩いてみるⅡ [街並]
吉良邸跡の本所松坂町公園からまっすぐ東に進むと両国小学校にぶつかります。
その丁字路を小学校に沿って左に行くと
古くて赤く錆びた一対の錨が置かれていました。
これは
日露戦争で活躍した駆逐艦不知火のものなのだそうです。
この錨の隣に
芥川龍之介の文学碑があります。
説明板によると
芥川龍之介は明治25年(1892年)に京橋で生れたのですが彼が7ヶ月のとき母親が発病し母親の長兄の芥川道章に引き取られ、13歳のときに道章の養子になっています。
ここ両国(本所)が芥が龍之介が育った場所で、明治32年(1899年)にこの両国小学校(江東尋常小学校)に入学しています。
両国小学校創立115年の記念として建てられたこの文学碑には杜子春の一部が刻まれています。
この文学碑のすぐ前に
木彫の仏像が置かれていました。
第五章で杜子春は地獄に落ちて閻魔大王に脅されます。
しかしここに置かれた木造は、折れてしまっていますが右手に宝剣、左手に羂索を持っているのでこれは不動明王と思われます。
できればあの王と書かれた冠をかぶった閻魔大王が置かれていて欲しかった。
この後 隣の両国公園にある
西郷隆盛揮毫の勝海舟生誕之地の碑を見て
帰りに京葉道路に面して立っている
芥川龍之介生育の地の標柱を見て家路に着きました。
この日見た場所は
かなり狭い場所にあります。
その丁字路を小学校に沿って左に行くと
古くて赤く錆びた一対の錨が置かれていました。
これは
日露戦争で活躍した駆逐艦不知火のものなのだそうです。
この錨の隣に
芥川龍之介の文学碑があります。
説明板によると
芥川龍之介は明治25年(1892年)に京橋で生れたのですが彼が7ヶ月のとき母親が発病し母親の長兄の芥川道章に引き取られ、13歳のときに道章の養子になっています。
ここ両国(本所)が芥が龍之介が育った場所で、明治32年(1899年)にこの両国小学校(江東尋常小学校)に入学しています。
両国小学校創立115年の記念として建てられたこの文学碑には杜子春の一部が刻まれています。
この文学碑のすぐ前に
木彫の仏像が置かれていました。
第五章で杜子春は地獄に落ちて閻魔大王に脅されます。
しかしここに置かれた木造は、折れてしまっていますが右手に宝剣、左手に羂索を持っているのでこれは不動明王と思われます。
できればあの王と書かれた冠をかぶった閻魔大王が置かれていて欲しかった。
この後 隣の両国公園にある
西郷隆盛揮毫の勝海舟生誕之地の碑を見て
帰りに京葉道路に面して立っている
芥川龍之介生育の地の標柱を見て家路に着きました。
この日見た場所は
かなり狭い場所にあります。
うー。
また悪い癖で、どうでも良い事の挙げ足を捕りたくなっています。
日本海軍の「不知火」は「戦艦」では無く「駆逐艦」ですぅ〜。
確認したら、このコメントをさっさと削除してもらって結構ですぅ〜。
by octopus baker (2012-09-30 01:23)
octopus baker さん
ご指摘ありがとうございます。
推敲が不十分でした。
説明板にも明確に駆逐艦と書いてありますね。
訂正いたしました。
by kurakichi (2012-09-30 05:38)
仙人となるためどんなことがあっても(閻魔大王に脅かされても)声を出さなかった杜子春が、ろばに姿を変えた母親が鞭で打たれるのを目の当たりにして声を上げてしまうという話だったと思います。
男の最大の弱点は“母親”ではないかという気がします。
鹿児島県知覧町の平和記念館に展示されている遺書は、大半が母親に宛てたものでした!
by 風来鶏 (2012-09-30 07:15)
赤穂浪士討ち入りの地も近いですよね。
by U3 (2012-09-30 13:01)
風来鶏 さん
ろばではなくて馬なのですが お話はそのような内容のものですね。
母が息子を思う気持ちにも泣けます。
by kurakichi (2012-10-01 01:06)
U3 さん
前の記事に書いた吉良邸跡の本所松坂町公園、芥川龍之介生育の地の向には赤穂義士元禄義挙の跡の碑がありますね。
by kurakichi (2012-10-01 01:13)