上野のお山をブラブラ歩くⅠ [公園]
近藤伸子さんのリサイタルは19時からなのですが 上野に着いたのは15時。
早めに上野に行ったのは上野のお山を少し歩いてみようと思ったからです。
東京文化会館のエントランスホールを見てから
国立西洋美術館側の出口を出ました。
出口を出るとすぐに
意志が強そうな面立ちの銅像がありました。
この人は安井誠一郎といい 戦後初めて公選で選ばれた東京都知事なのだそうです。
戦前は知事は選挙ではなく任命されていたことも今まで知りませんでした。
安井知事は昭和22年(1947年)から昭和34年(1959年)までの3期にわたり知事を務め 戦後の復興に尽力しました。
その活動の一環でこの東京文化会館も造られたわけで その功績を讃え銅像が置かれたということなのです。
この銅像の裏にはお堀のように水が張られた窪みがあってそこには
弓を天に向かって引絞る女神の像があります。
普段はなかなか気づきません。
室内側からは
このように見えます。
昨日の記事で前川國男が設計したこの建物の意匠はモンドリアンに似ていると書きましたが この窓のサッシの造りにもモンドリアンが連想されます。
外はまだ寒くはないので多くの人が歩いていました。
下校途中の女子高生、遠足できていた小学生もいました。
足は東京国立博物館に向かいます。
改修された噴水池の周りには
暖かい陽を求めて人々が集っています。
私がなぜここに来たのかというと
東京国立博物館の姿をもう一度目で確認しておきたかったからなのです。
この建物は昭和12年(1937年)に造られたもので設計は渡辺 仁氏です。
先日神保町の古本まつりに行ったときに九段下で見た九段会館が帝冠様式と呼ばれるスタイルであって この東京国立博物館もその帝冠様式に入るものと言われています。
この建物の設計も公募で選ばれたものでした。
あの当時のお国の建物にはあの時代の空気が色濃く出てしまうものなのですね。
安井知事が初めての公選知事であったこと、東京国立博物館の本館は帝冠様式であること、町の中にはまだまだ時代を振り返るきっかけとなるものがいろいろ存在しています。
早めに上野に行ったのは上野のお山を少し歩いてみようと思ったからです。
東京文化会館のエントランスホールを見てから
国立西洋美術館側の出口を出ました。
出口を出るとすぐに
意志が強そうな面立ちの銅像がありました。
この人は安井誠一郎といい 戦後初めて公選で選ばれた東京都知事なのだそうです。
戦前は知事は選挙ではなく任命されていたことも今まで知りませんでした。
安井知事は昭和22年(1947年)から昭和34年(1959年)までの3期にわたり知事を務め 戦後の復興に尽力しました。
その活動の一環でこの東京文化会館も造られたわけで その功績を讃え銅像が置かれたということなのです。
この銅像の裏にはお堀のように水が張られた窪みがあってそこには
弓を天に向かって引絞る女神の像があります。
普段はなかなか気づきません。
室内側からは
このように見えます。
昨日の記事で前川國男が設計したこの建物の意匠はモンドリアンに似ていると書きましたが この窓のサッシの造りにもモンドリアンが連想されます。
外はまだ寒くはないので多くの人が歩いていました。
下校途中の女子高生、遠足できていた小学生もいました。
足は東京国立博物館に向かいます。
改修された噴水池の周りには
暖かい陽を求めて人々が集っています。
私がなぜここに来たのかというと
東京国立博物館の姿をもう一度目で確認しておきたかったからなのです。
この建物は昭和12年(1937年)に造られたもので設計は渡辺 仁氏です。
先日神保町の古本まつりに行ったときに九段下で見た九段会館が帝冠様式と呼ばれるスタイルであって この東京国立博物館もその帝冠様式に入るものと言われています。
この建物の設計も公募で選ばれたものでした。
あの当時のお国の建物にはあの時代の空気が色濃く出てしまうものなのですね。
安井知事が初めての公選知事であったこと、東京国立博物館の本館は帝冠様式であること、町の中にはまだまだ時代を振り返るきっかけとなるものがいろいろ存在しています。
国立博物館の帝冠様式が九段会館ほど押しつけがましくないのは、案外設計者の渡辺仁が、いわいる粋人だったからかもしれません。大学時代から吉原の茶屋に居続けて学校に通ったという、彼の遊び心と言うか余裕が、帝冠様式のいかめしさ、堅苦しさを緩和したかもです。
by opas10 (2012-11-17 14:33)
opas10 さん
なるほど なるほど。
貴兄の説に納得です。
by kurakichi (2012-11-18 10:50)