水神神社 [神社仏閣教会]
胸突坂の登り口の左側には
かなり年代を経た庚申塔があって
その少し上に
新しく建替えられた鳥居がありました。
この神社の前にある駒塚橋よりひとつ下流にある橋が大滝橋です。
徳川家康が江戸城を築くに当たってまず行ったのは上水の確保でした。
その一つが赤坂台や山王台から流れ出た水を溜めるため今の虎ノ門辺りに堰を築きました。
この堰は落ちる水音がドンドンと響いたので赤坂のドンドンといわれました。
もう一つが井の頭の弁天池を水源として日比谷入江に注いでいた平川にその大滝橋辺りに堰を造ってそこから水を樋に通し神田上水として江戸城下に配水しました。
ということでこの水神神社はその神田上水を整備したときに建てられたと思われますが詳しい年号はわかっておらず 水神様が八幡宮社司の夢枕に立って われを祀れよ と告げたという言い伝えが残っています。
ところで今立っている鳥居は 惜しいことに安政4年(1857年)に建てられた鳥居が平成16年(2004年)12月5日の大風で奥に立っている大公孫樹の枝が折れて落下し大破したために新しく建替えられたものです。
鳥居の柱に書かれている関口(=堰口)は今でも町名に残っていますが関水はこの付近の町内会の名前です。
さてこの急な石段を登ると こじんまりとしたお社に
水神様が祀られていました。
このお社の脇から胸突坂に出て目白崖線の上に出ると
永青文庫があって 武蔵と武士のダンディズム展 をやっていたのですが この日はもう一つぜひ見てみたいものがあったので先を急ぎました。
少し行くと講談社野間記念館の向こうに
見たかったものが見えてきました。
かなり年代を経た庚申塔があって
その少し上に
新しく建替えられた鳥居がありました。
この神社の前にある駒塚橋よりひとつ下流にある橋が大滝橋です。
徳川家康が江戸城を築くに当たってまず行ったのは上水の確保でした。
その一つが赤坂台や山王台から流れ出た水を溜めるため今の虎ノ門辺りに堰を築きました。
この堰は落ちる水音がドンドンと響いたので赤坂のドンドンといわれました。
もう一つが井の頭の弁天池を水源として日比谷入江に注いでいた平川にその大滝橋辺りに堰を造ってそこから水を樋に通し神田上水として江戸城下に配水しました。
ということでこの水神神社はその神田上水を整備したときに建てられたと思われますが詳しい年号はわかっておらず 水神様が八幡宮社司の夢枕に立って われを祀れよ と告げたという言い伝えが残っています。
ところで今立っている鳥居は 惜しいことに安政4年(1857年)に建てられた鳥居が平成16年(2004年)12月5日の大風で奥に立っている大公孫樹の枝が折れて落下し大破したために新しく建替えられたものです。
鳥居の柱に書かれている関口(=堰口)は今でも町名に残っていますが関水はこの付近の町内会の名前です。
さてこの急な石段を登ると こじんまりとしたお社に
水神様が祀られていました。
このお社の脇から胸突坂に出て目白崖線の上に出ると
永青文庫があって 武蔵と武士のダンディズム展 をやっていたのですが この日はもう一つぜひ見てみたいものがあったので先を急ぎました。
少し行くと講談社野間記念館の向こうに
見たかったものが見えてきました。
カセドラルですかね~(^^♪
by ヨタ8 (2013-02-05 04:56)
おお三猿の庚申塔、懐かしいです。昨年の一時期、ここらで庚申塔を探して撮っていました。(笑)
by kjisland (2013-02-05 06:47)
ヨタ8 さん
ハイ、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂です。
by kurakichi (2013-02-05 20:38)
kjisland さん
庚申塔は道標でもあったわけで古道を丹念に歩くと見つかりますよ。
by kurakichi (2013-02-05 20:40)