成宗須賀神社 [神社仏閣教会]
杉並高等学校の道を挟んで北側に
成宗須賀神社がありました。
頭についている 成宗 はこのあたりの昔の地名ですが ここの現在の住居表示は成田東です。
昭和43年(1968年)から42年にかけての住居表示の変更で 明治時代に田端村が東田町と西田町に別れたものと成宗が一緒になって新に成田東と成田西になりました。
このことについては『中央線がなかったら見えてくる東京の古層』の中で筆者の陣内秀信氏は崇高ないい名前が機械的に何の意味のないものに変えられてしまったと嘆いています。
境内は
そこそこ広く 陣内氏が小さいころよくキャッチボールなどをして遊んだ場所なのです。
拝殿は昭和33年(1958年)に建替えられたものですが
なかなかおもむきを感じます。
説明板によると
創建は天慶4年(941年)ともいわれていますが安政年間(1854~1859年)に焼失して詳しいことはわかりません。
江戸時代は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたため牛頭天王社と呼ばれていましたが明治時代の神仏分離令で素戔嗚命(すさのおのみこと)を祀り須賀神社として今に至っています。
境内にはほかに
稲荷神社と御嶽神社もあって成宗の鎮守として多くの人の信仰を集めていたことが伺えます。
今は境内を異にしていますがすぐ隣には
成宗弁財天社があります。
成宗須賀神社がありました。
頭についている 成宗 はこのあたりの昔の地名ですが ここの現在の住居表示は成田東です。
昭和43年(1968年)から42年にかけての住居表示の変更で 明治時代に田端村が東田町と西田町に別れたものと成宗が一緒になって新に成田東と成田西になりました。
このことについては『中央線がなかったら見えてくる東京の古層』の中で筆者の陣内秀信氏は崇高ないい名前が機械的に何の意味のないものに変えられてしまったと嘆いています。
境内は
そこそこ広く 陣内氏が小さいころよくキャッチボールなどをして遊んだ場所なのです。
拝殿は昭和33年(1958年)に建替えられたものですが
なかなかおもむきを感じます。
説明板によると
創建は天慶4年(941年)ともいわれていますが安政年間(1854~1859年)に焼失して詳しいことはわかりません。
江戸時代は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたため牛頭天王社と呼ばれていましたが明治時代の神仏分離令で素戔嗚命(すさのおのみこと)を祀り須賀神社として今に至っています。
境内にはほかに
稲荷神社と御嶽神社もあって成宗の鎮守として多くの人の信仰を集めていたことが伺えます。
今は境内を異にしていますがすぐ隣には
成宗弁財天社があります。
kurakichiさん、はじめまして。
地名はそこに住んできた人たちがその土地をどのように認識してきたかが表れているので、行政上の都合で変えられてしまうのはほんとに残念ですね。
成宗の名の由来は何でしょう。
by い〜予感 (2013-04-02 10:03)
い~予感 さん
成宗の由来は ここに鎌倉時代の御家人の中野左衛門尉成宗(成宗氏)の居館があったことによります。
この須賀神社はその成宗氏の氏神だったのかもしれません。
by kurakichi (2013-04-02 10:12)
昔からの地名は大事にして欲しいものですね。
by johncomeback (2013-04-02 14:33)
このあたりだったか泉 麻人さんが
住んでいるようですね。。お見かけしたことがあるんです。
by Far-East (2013-04-02 19:55)
johncomeback さん
地名も歴史の一部なのですから行政区画の変更などで変えて欲しくないですね。
by kurakichi (2013-04-02 22:57)
Far-East さん
泉さんはこのあたりに住んでいるのですか。
童顔なのにでかいからだ 目立つでしょうね。
by kurakichi (2013-04-02 23:00)
東京の地名は、オリンピックのあたりからどんどん味気ないものになっちゃっていますね。霞町とか狸穴なんて、趣あるいい地名だと思うんですが・・・。
by opas10 (2013-04-11 23:45)
opas10 さん
統治の合理化のためということは頭で理解できますが 感情面では納得できませんね。
by kurakichi (2013-04-12 21:27)