大宮八幡宮から永福町へ [街並]
大宮八幡宮は
wikipediaによると
前九年の役のとき、源頼義は奥州に向かう途中、武蔵国にて空に八条の白雲をみて八幡大神の守護を感じたという。その後乱を平定した頼義は武蔵国に戻り、1063年(康平6年)に、八条の白雲をみた地に石清水八幡宮の分霊を祀り、当社を創建したとされる。
と書かれています。
旧五日市街道の白旗の坂の「白旗」の起源もこの頼義が見た白雲によっています。
源頼義に起源がある大宮八幡宮があるこの地はその後も源氏とのつながりが深く 参道には
源義家が奥州遠征のときに鞍を架けたといわれる松があります。
もちろんこの松はその何世代かあとのものですが その言い伝えは今に残されています。
この参道には他にも
祭馬頭の石塔もあり昔から続く歴史が感じられます。
さて帰りはこの参道から京王線永福町駅に向かうのですが 途中
こんなお店がありました。
半分が洋服 半分がギターを売っているお店です。
名前は 来衣夢 と書いてライムと読ませるようです。
私の想像ですが母親がやっていた洋品店を息子の代になって半分を無理やり楽器屋にしたのではないかと思います。
この感覚はJR中央線的ではないなあという印象です。
杉並区は大きな区で北は西武新宿線、中央にJR中央線、南に京王井の頭線が走っていて その路線を軸として帯状に特徴が色分けされているように感じます。
南北に歩いてみるとその特徴がグラデーションのように変化しているのですがその中間点には 少し前の時代が残されているようです。
そうそう井の頭線の永福町駅もいつのまにか駅ビルになっていました。
その駅ビル二階の改札口の手前には
昔の駅の写真があって この永福町あたりには多くの文化人が住んでいたとかかれていて
このパネルの隣には
この地で没した佐藤忠良氏の彫刻が置かれていました。
wikipediaによると
前九年の役のとき、源頼義は奥州に向かう途中、武蔵国にて空に八条の白雲をみて八幡大神の守護を感じたという。その後乱を平定した頼義は武蔵国に戻り、1063年(康平6年)に、八条の白雲をみた地に石清水八幡宮の分霊を祀り、当社を創建したとされる。
と書かれています。
旧五日市街道の白旗の坂の「白旗」の起源もこの頼義が見た白雲によっています。
源頼義に起源がある大宮八幡宮があるこの地はその後も源氏とのつながりが深く 参道には
源義家が奥州遠征のときに鞍を架けたといわれる松があります。
もちろんこの松はその何世代かあとのものですが その言い伝えは今に残されています。
この参道には他にも
祭馬頭の石塔もあり昔から続く歴史が感じられます。
さて帰りはこの参道から京王線永福町駅に向かうのですが 途中
こんなお店がありました。
半分が洋服 半分がギターを売っているお店です。
名前は 来衣夢 と書いてライムと読ませるようです。
私の想像ですが母親がやっていた洋品店を息子の代になって半分を無理やり楽器屋にしたのではないかと思います。
この感覚はJR中央線的ではないなあという印象です。
杉並区は大きな区で北は西武新宿線、中央にJR中央線、南に京王井の頭線が走っていて その路線を軸として帯状に特徴が色分けされているように感じます。
南北に歩いてみるとその特徴がグラデーションのように変化しているのですがその中間点には 少し前の時代が残されているようです。
そうそう井の頭線の永福町駅もいつのまにか駅ビルになっていました。
その駅ビル二階の改札口の手前には
昔の駅の写真があって この永福町あたりには多くの文化人が住んでいたとかかれていて
このパネルの隣には
この地で没した佐藤忠良氏の彫刻が置かれていました。
京王線、永福町には一ヶ月ほど居候していたことがありますが、
大宮八幡宮は覚えがありません。
善福寺川は歩いたような気がします。
杉並区の路線による色分け、面白いですね。
by そらへい (2013-04-16 00:09)
そらへい さん
中央線文化とか西武線文化とか京王線文化と名づけても良いかと思います。
しかし3月16日に東横線が副都心線とつながってしまい あそこはどうなるのかなあといろいろ想像してしまいます。
by kurakichi (2013-04-16 00:36)