宇賀神はどこに行った? [神社仏閣教会]
井の頭池の脇に建つ中田喜直氏の『ちいさい秋みつけた』の歌碑からさらに西に
行くと弁天さんがあるのですが この辺りには
縄文時代の遺跡が埋まっているのですが ここに書いてあるように周りは宅地化が進み、ここは公園であることから現在は発掘調査は行われていません。
縄文時代についてはさておき ここ井の頭が広く知られるようになったのは江戸時代に神田上水が造られた時からです。
神田上水の水源がこの池であることから江戸の人たちがここを訪れ
感謝の意をこめ石造りのものを寄進しています。
この石灯篭は天保4年(1833年)のものです。
そしてこの石橋は文化14年(1817年)のもので 半分埋まった親柱には 井頭 辨 と 神田 御上 の文字が見えます。
向う岸の親柱には
壹番組 湯屋講中 が読み取れます。
壹番組は町火消でしょうか、湯屋講中は江戸時代の銭湯組合でしょうか どちらも水に助けられる人たちです。
さてお参りを済まして南側の崖にある
石段を上ります。
ちなみにこの石段は文政7年(1824年)に両国の人たちが寄進したものです。
この階段を上がったところには
石灯篭があってその先に道が続いています。
この道は人見街道に出て江戸まで続いています。
江戸時代の人たちはこの道を通ってきていたのです。
さてこの石灯篭のすぐ脇には明和4年(1767年)に建てられた石鳥居標石があり、一昨年まではこの上に私も年賀状に使った人頭蛇身の宇賀神が
置かれていたのですが
なくなっていました。
一体どこへ行ったやら気になります。
行くと弁天さんがあるのですが この辺りには
縄文時代の遺跡が埋まっているのですが ここに書いてあるように周りは宅地化が進み、ここは公園であることから現在は発掘調査は行われていません。
縄文時代についてはさておき ここ井の頭が広く知られるようになったのは江戸時代に神田上水が造られた時からです。
神田上水の水源がこの池であることから江戸の人たちがここを訪れ
感謝の意をこめ石造りのものを寄進しています。
この石灯篭は天保4年(1833年)のものです。
そしてこの石橋は文化14年(1817年)のもので 半分埋まった親柱には 井頭 辨 と 神田 御上 の文字が見えます。
向う岸の親柱には
壹番組 湯屋講中 が読み取れます。
壹番組は町火消でしょうか、湯屋講中は江戸時代の銭湯組合でしょうか どちらも水に助けられる人たちです。
さてお参りを済まして南側の崖にある
石段を上ります。
ちなみにこの石段は文政7年(1824年)に両国の人たちが寄進したものです。
この階段を上がったところには
石灯篭があってその先に道が続いています。
この道は人見街道に出て江戸まで続いています。
江戸時代の人たちはこの道を通ってきていたのです。
さてこの石灯篭のすぐ脇には明和4年(1767年)に建てられた石鳥居標石があり、一昨年まではこの上に私も年賀状に使った人頭蛇身の宇賀神が
置かれていたのですが
なくなっていました。
一体どこへ行ったやら気になります。
歩くには飽きないところみたいですね。
by cocoa051 (2014-01-14 05:14)
頭が蛇の神様なんてはじめてみました。
by よいこ (2014-01-14 09:34)
当地にも宇賀神社があり、商売の神様として正月賑わっています。
弁天信仰もあり蛇が神様なんでしょうね。
by SILENT (2014-01-14 09:54)
ここの弁天さんは以前から知っていましたが、そんな歴史があるとは考えてもみませんでした^^;
by Mitch (2014-01-14 18:49)
遠州森町にある「石松の墓」みたいに、縁起を担いで“削って持っていく”人達が多かったのでしょうか?!
by 風来鶏 (2014-01-14 23:25)
cocoa51 さん
イヤー実際この日は色々なものにい出会いました。
by kurakichi (2014-01-15 00:42)
よいこ さん
見かけることは少ないのですね。
とても奇妙なものですね。
by kurakichi (2014-01-15 00:44)
SILENT さん
蛇は水辺が好きで 水辺の弁天さんの祠によくいる 蛇は神のお遣い という発想でしょうか。
by kurakichi (2014-01-15 00:49)
Mitch さん
歴史もありますし、野鳥も結構いますよ。
by kurakichi (2014-01-15 00:50)
風来鶏 さん
削っていくほどご利益があるのかどうか?
両国の回向院には鼠小僧のお墓があるのですが 本当の墓石の前に削っていい墓石が別にあります。
by kurakichi (2014-01-15 00:54)