淀橋から中野坂上へ [街並]
今回 淀橋を見にやってきたのは十二社熊野神社で淀橋と刻まれた石を見たからなのですが 十二社熊野神社と淀橋とはちょっと怖い伝説で結ばれています。
そもそもこの橋が
淀橋と呼ばれるようになった一説に 三代将軍家光が橋の名前の由来が不吉であることを知り、風景が京都の淀川に似ていたことから淀橋と改名した というものがあります。
改名される前は 姿見ずの橋、面影橋 などと呼ばれていて 花嫁がこの橋を渡って嫁ぐと二度と戻ってこないという噂も流布していました。
なぜ姿見ずの橋と呼ばれたのかは 十二社熊野神社を建てた中野長者こと鈴木九郎は自分の財産が人にとられまいかと心配でその財産を下僕に担がせどこかに埋めに行ったのですが 下僕の口からその場所が明らかになることを恐れ 帰りにこの淀橋あたりで下僕を殺しその遺体を神田川に流したのだそうです。
それは一回にとどまらず何人もの下僕が鈴木九郎によって殺されたのだそうです。
朝出て行った下僕が夕方その姿が見えなくなるので 村の人たちはこの橋を 姿見ずの橋 と呼ぶようになったのです。
金の亡者となった鈴木九郎にやがて天罰が下ることになるのですがそれはまた次の機会に。
上の写真にも新宿区と書かれた標識が写っていますが 神田川が新宿区と中野区の境になっていて
新宿方面は成子坂下までほぼ平坦な道になっていますが逆の中野方面には
かなりの急坂になっています。
青梅街道の向こう側に
赤い鳥居を発見。
ちょっと気になったので道を渡り行ってみました。
かなり急な石段を上ったところにあるのが
中本稲荷神社です。
お社の後ろにも鳥居があったのでそこから住宅街を抜けると
坂の上に出 そこからさらに行くと
青梅街道と山手通りの交差点
中野坂上です。
ここから丸ノ内線に乗って帰ることも考えましたが青梅街道をもう少し歩いてみることにしました。
そもそもこの橋が
淀橋と呼ばれるようになった一説に 三代将軍家光が橋の名前の由来が不吉であることを知り、風景が京都の淀川に似ていたことから淀橋と改名した というものがあります。
改名される前は 姿見ずの橋、面影橋 などと呼ばれていて 花嫁がこの橋を渡って嫁ぐと二度と戻ってこないという噂も流布していました。
なぜ姿見ずの橋と呼ばれたのかは 十二社熊野神社を建てた中野長者こと鈴木九郎は自分の財産が人にとられまいかと心配でその財産を下僕に担がせどこかに埋めに行ったのですが 下僕の口からその場所が明らかになることを恐れ 帰りにこの淀橋あたりで下僕を殺しその遺体を神田川に流したのだそうです。
それは一回にとどまらず何人もの下僕が鈴木九郎によって殺されたのだそうです。
朝出て行った下僕が夕方その姿が見えなくなるので 村の人たちはこの橋を 姿見ずの橋 と呼ぶようになったのです。
金の亡者となった鈴木九郎にやがて天罰が下ることになるのですがそれはまた次の機会に。
上の写真にも新宿区と書かれた標識が写っていますが 神田川が新宿区と中野区の境になっていて
新宿方面は成子坂下までほぼ平坦な道になっていますが逆の中野方面には
かなりの急坂になっています。
青梅街道の向こう側に
赤い鳥居を発見。
ちょっと気になったので道を渡り行ってみました。
かなり急な石段を上ったところにあるのが
中本稲荷神社です。
お社の後ろにも鳥居があったのでそこから住宅街を抜けると
坂の上に出 そこからさらに行くと
青梅街道と山手通りの交差点
中野坂上です。
ここから丸ノ内線に乗って帰ることも考えましたが青梅街道をもう少し歩いてみることにしました。
『十二社』これは読みが分からない方も多いと思いますが、
十二社通りは何かにつけよく使う道なのですが、熊野神社には
1度も行ったことがありませんでした。
十二社の西側に入ると意外にもちょっと古くて狭い住宅街だったり
しますね。
by TERU (2014-06-06 23:21)
TERU さん
十二社 じゅうにしゃ ではなく じゅうにそう ですね。
ちょっと読めません。
あの西側には昔ディープだった場所の痕跡が残っていますね。
by kurakichi (2014-06-07 00:59)