綾瀬駅近くの北野神社 [神社仏閣教会]
さて谷中しょうぶ沼公園で花菖蒲を見た後たいして距離がないので綾瀬駅まで歩きました。
昨日の記事にも書きましたがこの辺りは江戸時代に新綾瀬川が開削され新田として開拓されたところで そのあと昭和、それも戦後になって住宅地へと変わっていった町のようです。
そのような歴史は私の住む武蔵野にも似ていておのずと町の風景もいわゆる新興住宅地に共通する雰囲気があります。
ただちょっと違っている点は土地に全く起伏がなく そのため区画がほとんど直線できちっと作られているので歩いていて面白味がありません。
その点では国立市に似ているかもしれません。
途中気になったのは
廃業してしまった中古車展示場ぐらいでした。
開発の進行速度が遅かったため寂れてしまった街道沿いの風景のようです。
常磐線の高架前には
何の面白味もないまま着いてしまいました。
真っ直ぐ行けば堀切、右に行けば綾瀬駅、左に行けば亀有です。
この横断歩道橋を渡って高架線の南側に行くことにしました。
歩道橋の階段で振り向くと
歩道脇の駐輪場の屋根に雑草が生い茂っていることに気が付きました。
管理が悪いのかと最初は思ったのですがよく見ると
灌水用のビニールチューブが施されていて足立区の緑化施策の一つのようです。
さて高架の南側に出て
高架脇を綾瀬駅へと向かいます。
するとすぐに
北野神社がありました。
アスファルトとコンクリートばかりの町で木造の古い建物に出会うとホッとします。
この神社の創建については詳らかではないのですが境内には
石造りの片流れ屋根の小さなお社が二基置かれていて
これは石祀型(せきじがた)の庚申塔なのだそうです。
右は元禄8年(1695年)左は元禄13年(1700年)の造立で、それぞれ「奉造立石之宮殿第六天 村中庚申供養」「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安楽処」と彫られているのだそうです。
どちらにも『立石』の文字が見えます。
上の歩道橋の写真にあるように南に向かえば堀切、その先に京成立石駅があって そこから東に行くとあの立石様があってさらにその先に立石熊野神社があります。
この庚申塔に刻まれている『立石~』はその立石熊野神社を指しているのではないかと思われます。
昨日の記事にも書きましたがこの辺りは江戸時代に新綾瀬川が開削され新田として開拓されたところで そのあと昭和、それも戦後になって住宅地へと変わっていった町のようです。
そのような歴史は私の住む武蔵野にも似ていておのずと町の風景もいわゆる新興住宅地に共通する雰囲気があります。
ただちょっと違っている点は土地に全く起伏がなく そのため区画がほとんど直線できちっと作られているので歩いていて面白味がありません。
その点では国立市に似ているかもしれません。
途中気になったのは
廃業してしまった中古車展示場ぐらいでした。
開発の進行速度が遅かったため寂れてしまった街道沿いの風景のようです。
常磐線の高架前には
何の面白味もないまま着いてしまいました。
真っ直ぐ行けば堀切、右に行けば綾瀬駅、左に行けば亀有です。
この横断歩道橋を渡って高架線の南側に行くことにしました。
歩道橋の階段で振り向くと
歩道脇の駐輪場の屋根に雑草が生い茂っていることに気が付きました。
管理が悪いのかと最初は思ったのですがよく見ると
灌水用のビニールチューブが施されていて足立区の緑化施策の一つのようです。
さて高架の南側に出て
高架脇を綾瀬駅へと向かいます。
するとすぐに
北野神社がありました。
アスファルトとコンクリートばかりの町で木造の古い建物に出会うとホッとします。
この神社の創建については詳らかではないのですが境内には
石造りの片流れ屋根の小さなお社が二基置かれていて
これは石祀型(せきじがた)の庚申塔なのだそうです。
右は元禄8年(1695年)左は元禄13年(1700年)の造立で、それぞれ「奉造立石之宮殿第六天 村中庚申供養」「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安楽処」と彫られているのだそうです。
どちらにも『立石』の文字が見えます。
上の歩道橋の写真にあるように南に向かえば堀切、その先に京成立石駅があって そこから東に行くとあの立石様があってさらにその先に立石熊野神社があります。
この庚申塔に刻まれている『立石~』はその立石熊野神社を指しているのではないかと思われます。
今晩は。
訪問ありがとうございました。
お付き合いよろしくお願いします。
by hiro (2014-06-15 19:11)
hiro さん
こちらこそよろしくお願いいたします。
by kurakichi (2014-06-15 23:26)